2020年4月9日木曜日

海外でプレーする日本人サッカー選手 中島翔哉、鎌田大地、伊藤達哉、久保裕也,木村光佑,山田大記など

■2017/09/30 ハンブルガーSVに入団の伊藤達哉が早くもトップデビュー
■2018/01/09 活躍中の中島翔哉、本田圭佑の経歴と似た鎌田大地にも注目
■2014/8/23 海外でプレーする日本人サッカー選手 久保裕也,木村光佑,山田大記など


■2017/09/30 ハンブルガーSVに入団の伊藤達哉が早くもトップデビュー

 最近の話も追加。現地時間24日、ハンブルガーSVのFW伊藤達哉がブンデスリーガ1部デビュー。アウェイでレバークーゼンと対戦でした。
 U-23ハンブルガーSVに所属する伊藤は2試合連続でトップチームのベンチ入りを果たすと、2点ビハインドで迎えた82分に登場。
 DF酒井高徳が今シーズン初となるフル出場も果たしていますが、0-3で敗れています。
(独3年目の20歳伊藤達哉がブンデス1部デビュー。酒井高徳はフル出場 フットボールチャンネル | スポーツ | 2017年09月25日 )

 検索してみると、年代別の日本代表には呼ばれていない感じ。Wikipediaには記載ありませんでした。
 このWikipediaによると、東京都出身で小学生の頃から柏レイソルの下部組織に所属。2014年4月にUAEで開催されたアル・アインインターナショナルジュニアチャンピオンシップでは、グループリーグのハンブルガーSV戦でマン・オブ・ザ・マッチに選出されるなど準優勝に貢献し、大会MVPを受賞しています。

 しかし、2015年7月13日、ハンブルガーSVに3年契約で入団することが発表されます。ハンブルガー側の要望により高校卒業前からチームに合流するため、通学していた日本体育大学柏高等学校では早期卒業の特例措置。柏レイソルにも満額のトレーニング・コンペンセーション(育成費)が支払われての移籍となりました。


■2018/01/09 活躍中の中島翔哉、本田圭佑の経歴と似た鎌田大地にも注目

 ポルトガル1部のポルティモネンセに所属するMF中島翔哉に対しブンデスリーガのフランクフルトとヴォルフスブルク、ポルトガルのの強豪ポルトが興味を示しているそうです。
 23歳の中島は今季FC東京から期限付き移籍でポルティモネンセに加入。第5節でリーグ戦初出場をするとそこから現在まで13試合連続スタメン出場中で、7得点3アシストの活躍を見せています。
中島翔哉、長谷部誠&鎌田大地の同僚に? フランクフルトが好条件を提示かフットボールチャンネル - 01月09日 07時25分
http://ecnavi.jp/mainichi_news/article/de572deeefbf94a4542d35558439f2b8/

 フランクフルトなら、日本代表MF長谷部誠やMF鎌田大地が所属するクラブ。鎌田大地は現在21歳。サガン鳥栖から移籍した選手で、U-23日本代表の経験があります。2017年の8月20日、開幕戦のSCフライブルク戦でリーグ戦デビューも果たしました。
 ちなみにガンバ大阪ジュニアユース出身で、ユースへの昇格は果たせなかった選手ですので、活躍しちゃうと本田圭佑、東口順昭らの再現となってしまいそうです。
(関連:ガンバ大阪ユース、本田圭佑と東口順昭を不合格にしていた ジュニアユースには他に家長昭博・安田理大など)


■2014/8/23 海外でプレーする日本人サッカー選手 久保裕也,木村光佑,山田大記など

 最近大ブレイクした 久保裕也を過去に取り上げていましたが、全く記憶に残っていませんでした。昔のブログで書いていた2014年の投稿です。(2017/7/8再投稿)

  本当最近は無名選手含めて海外でプレーする日本人サッカー選手が多いですね。
 スイス・スーパーリーグには、日本代表FW・柿谷曜一朗がいます。しかし、無名の久保裕也という選手もいるそうです。

-----引用 ここから-----
カカ、ビジャ、ランパードら大物が続々移籍する米メジャーリーグ・サッカーとJリーグの「共通項」|ダイヤモンド・オンライン 相沢光一 2014年7月29日

日本での一般的知名度は高くないが、スイスリーグには若き実力派日本選手がいる。ヤング・ボーイズに所属する久保裕也(20)だ。京都サンガで3シーズンプレーした後、昨年同クラブに移籍した。昨季は主にサブとしての出場だったが8ゴールの活躍を見せ、今季はレギュラーFWの座を獲得。開幕から2試合連続ゴールを決めるという上々のスタートを切った。
http://diamond.jp/articles/-/56734
-----引用 ここまで-----

 京都時代も活躍していたようです。

-----引用 ここから-----
2010年シーズン途中に2種登録選手としてトップ登録され、トップチームに帯同。その後、登録を一旦解除される。

2011年シーズンに再び登録され、シーズン2試合目となった第8節のファジアーノ岡山戦にて3トップの中央でプロ初出場、初スタメンで初ゴールを記録。第11節の徳島ヴォルティス戦では、プロ2ゴール目となる豪快なミドルシュートを決めるなど、その後もゴールを量産。17歳にしてチーム最多得点となるリーグ戦30試合10得点を記録した。12月29日の天皇杯準決勝、横浜F・マリノス戦では途中出場から決勝ゴールを決めるなど1ゴール1アシストの活躍でチームの決勝進出に貢献。翌年の元日、決勝のFC東京戦でも途中出場からゴールを決め、高校生ストライカーとして一躍注目を浴びた。
-----引用 ここまで-----

 ただ、2012年は不振。日本最後の2013年は、主にスーパーサブとして633分出場で7ゴールを挙げたそうです。あと、出場はなかったものの、現役高校生のときにA代表入りしたことがあるようです。

 その他に記事で名前の挙がっていた選手。

ベルギー・ジュピラー・プロリーグ 日本代表GK・川島永嗣や横浜Fマリノスで活躍した小野裕二
イングランド・プレミアリーグ 香川真司(マンチェスターU)や吉田麻也(サウサンプトン)
ドイツ・ブンデスリーガ 内田篤人(シャルケ)、岡崎慎司(マインツ)、長谷部誠(フランクフルト)、清武弘嗣(ハノーヴァー)、大迫勇也(ケルン)
イタリア・セリエA 本田圭佑(ACミラン)と長友佑都(インテル)
原口元気(浦和→ドイツ・ベルリン)、田中順也(柏→ポルトガル・スポルティングリスボン)、山田大記(磐田→ドイツ2部・カールスルーエ)

 リーガエスパニューラがいないんですね。

 記事で注目されていたのは、アメリカのメジャーリーグ・サッカー(MLS)。

-----引用 ここから-----
2007年、日本人で初めてMLS選手となったのが木村光佑。コロラド・ラピッズのサイドバックとして6年間プレーし、現在はニューヨーク・レッドブルズに所属している。また、元日本代表でFC東京、ガンバ大阪などでプレーした加地亮はこの6月、ロサンゼルスのデポルティボ・チーヴァスに移籍。すでにリーグ戦デビューを果たしている。
-----引用 ここまで-----

 木村光佑を補足。

-----引用 ここから-----
木村光佑(きむら こうすけ、1984年5月14日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。メジャーリーグサッカー(以下MLS)初の日本人選手。ポジションは右ディフェンダー(サイドバック)。

 来歴

2007年1月のMLSサプリメンタルドラフトで日本人プレーヤーとして初めてコロラド・ラピッズに全体の35番目で指名され、同年3月に正式契約の28人枠に生き残り、日本人初のMLSプレーヤーとなった。

2007年シーズンも終わりに近づいた9月22日のレアル・ソルトレイク戦で右サイドバックとして90分間プレーし、1年目にしてトップデビューを果たす。10月7日のトロントFC戦でも同ポジションでフル出場。試合後、地元テレビ局の選ぶMVPに選ばれる。最終的に4試合に出場しその全試合で90分プレーし、2008年度も引き続きコロラドでのプレーが決まった。

2008年シーズンは18試合に出場しうち17試合が先発で計1438分プレーし、チームの主軸となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%89%E4%BD%91
-----引用 ここまで-----

 日本でのプロ経験なしで行った選手のようです。今は30歳。

-----引用 ここから-----
ユース経歴

    2000年 - 2002年 日本の旗 川崎フロンターレユース (和光高等学校)
    2003年 - 2006年 アメリカ合衆国の旗 ウエスタンイリノイ大学

プロ経歴

    2007年 - 2012年7月 アメリカ合衆国の旗 コロラド・ラピッズ
    2012年7月 - 2012年12月 アメリカ合衆国の旗 ポートランド・ティンバーズ
    2012年12月 - アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク・レッドブルズ
-----引用 ここまで-----

 あと、先に紹介した中から山田大記だけ最後に補足。日本でも活躍していました。

-----引用 ここから-----
山田 大記(やまだ ひろき、1988年12月27日 - )は、静岡県浜松市出身のプロサッカー選手。(中略)ポジションはミッドフィールダー。(中略)

 ジュビロ磐田

大学卒業後、ジュビロ磐田と鹿島アントラーズからオファーが有ったが、ジュニアユースまで所属していたジュビロに入団。同期入団は、小林裕紀と金園英学。

2011年、1年目にして背番号10を任されるなどシーズン前から期待をされていた。開幕戦は途中出場だったが、期待通りの活躍を見せ、第2節以降スタメンに定着する。キレのあるドリブルやパスで勝利に貢献し、第10節のモンテディオ山形戦ではプロ初得点を決めるなどした。中心選手として活躍していたが、シーズン終盤に左下腿の肉離れを起こし、続けて今度は右第5中足骨を疲労骨折し、手術のため離脱し、終盤は試合に出られなかった。それでもシーズンを通して5得点を記録し、FWの選手を除けばチーム最多得点者となった。

2012年、柏レイソルに完全移籍した那須大亮の後を継いでクラブ史上最年少ゲームキャプテンに就いた。また、日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに初招集される。

2013年7月25日、東アジアカップ2013オーストラリア戦で日本代表初出場を果たした。
-----引用 ここまで-----

 本当、海外でプレーする選手増えましたね。


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