2023年10月28日土曜日

サッカーが下手だったのに名選手 バティストゥータ

■2022/04/02 サッカーが下手だったのに名選手 バティストゥータ



■2022/04/02 サッカーが下手だったのに名選手 バティストゥータ

 セリエAの外国人最多通算得点記録を保持し、アルゼンチン代表にも選抜され、歴代2位の得点記録保持者という、世界を代表するストライカーであるガブリエル・バティストゥータのWikipediaを見ていると、おもしろい話がありました。
 「サッカーが下手だった」と言うと語弊がありまくりで、正確に言うと、「テクニックは高くなかった」などと言うべきでしょうが、以下のような話があったのです。

<陸上選手という前歴があるが足元のボールキープはおぼつかないもので、付けられたニックネームは「エレファンテ(象)」、送迎の車の中ではトップチームへ昇格する貪欲な執着心をスタッフに滔滔と語り打ち明け、このまま埋もれる気はないことを熱弁している。その後、バランスの良い恵まれた体躯と、元々のアスリートとしての資質、多少のタックルでは当たり負けしないタフなプレーでストライカーとしての頭角を現す>

 ただし、上記の部分は「要出典」となっています。つまり、信頼性に問題がある部分でした。そもそも「元陸上選手」というのが怪しいところ。同じWikipediaのページ内でも前半の説明部分では、バスケットボールの方が好きだった…という話がある程度ですね。
 とりあえず、この前半部分では、仮にテクニックが低かったという評価が正解であれば、その答えになりそうな話があります。本格的にサッカーをやり始めたのがかなり遅いのです。

<子供の頃はサッカーよりバスケットボールに興味があったが、地元開催のW杯アルゼンチン大会で、当時のアルゼンチン代表のエース・マリオ・ケンペスのプレイを見たことでサッカーへの興味を膨らませた。子供たちで草サッカーに興じ、大会に出るため皆でチーム「グルッポ・アッレグリーア」を結成。ただ、父親が学業や家業の手伝いをおろそかにしないことを求めたため、16歳までは地元の大会に出場する程度にとどまった。16歳で地元チームのプラテンセのジュニアチームに所属。
 1986年17歳にしてようやくバスケットボールからサッカー選手へと本格的に転向。強いフィジカルでゴールを奪うプレーぶりを、当時マルセロ・ビエルサが下部組織の指導者をしていたニューウェルズ・オールドボーイズが目を付け、1987年に移籍した>

 ところが、上記の説明部分でも「1986年17歳にしてようやくバスケットボールからサッカー選手へと本格的に転向」という重要部がやはり「要出典」となっているんですよね。おもしろい話だと思ったものの、肝心なところは全部信頼性が高くなくて、ズッコける話になっていました。