2024年7月20日土曜日

新年会遅刻の岡田武史代表監督、誤解して全テーブルで謝罪の挨拶

■2019/04/18 新年会遅刻の岡田武史代表監督、誤解して全テーブルで謝罪の挨拶
■2019/04/18 都並敏史と岡田武史はチームメイトだった?



■2019/04/18 新年会遅刻の岡田武史代表監督、誤解して全テーブルで謝罪の挨拶

 1998年1月、都並敏史さんが毎週月曜日、ゲルゲットショッキングセンターに出ていたテープが残っていました。1月ということで新年会の話もしていました。10人くらいのメンバーで当時日本代表監督だった岡田武史さんといっしょだったようです。
 ただ、岡ちゃんは遅刻。で、満席状態の会場(飲み屋?)につくと、全テーブルが関係者だと勘違い。テーブル1つ1つを順番に 「遅れてすみません」と謝罪の挨拶。当時は何しろ日本代表監督でしたので有名でしたので、挨拶された人たちは拍手で大盛り上がり。
 タイトルが長くなるので「全テーブルで謝罪の挨拶」としましたが、本当言うと全部は行きませんでした。4つ目のテーブルでやっと本当の参加メンバーのところにたどりついて、誤解が明らかに。真相を聞かされると真っ赤になっていたそうです。ボケキャラなんですかね。


■2019/04/18 都並敏史と岡田武史はチームメイトだった?

 このとき私はすでに都並敏史さんは引退していたと誤解していましたが、まだ現役だったようで驚きました。誰に言われたのかわからなかったんですけど、「ラジオやってるやつは(日本代表に)選ばれないと言われた」と岡ちゃんに言ったら、「試合出ればチャンスある」と言われたそうな。
  1997年と1998年の所属を見ると、平塚。覚えないですね。1997年は6試合、1998年は5試合のみの出場で、その年で引退となっていました。
 岡田武史さんは読売クラブではなく、古河電工であり、クラブではいっしょではありません。ただ、代表でチームメイトだったと思っていました。思い込みかもしれないので、確かめてみましょうか。
 都並敏史さんは 1980年に19歳で代表デビュー、1987年までは毎年選ばれています。岡田武史さんはなんと同じ1980年デビュー。24歳かな。というか、5歳しか違わないですね。もっと違うイメージでした。岡田さんはチームの中心として期待されたものの、1985年で代表を引退しています。ということで、やはりチームメイトだったようです。
 ちなみに岡田武史さんの出場試合数は24試合 で、都並敏史さんは78試合。岡田さんが少なく見えるものの、当時は代表の試合が少なかったはず。前述の通り代表引退が早く、1984年のロサンゼルス五輪最終予選ではレギュラーのはずが怪我、1986 FIFAワールドカップ地区予選では控えであるなど、順調でもなかったものの、今の日程ならもっと出場試合数が増えたと思われます。