2026年4月29日水曜日

大学サッカーが強かったという共通点を持つ日本と韓国

■2019/10/17 大学サッカーが強かったという共通点を持つ日本と韓国
■2020/02/29 かつての韓国サッカーは実業団と大学が中心だった…



■2019/10/17 大学サッカーが強かったという共通点を持つ日本と韓国

 日韓大学選抜の試合メモが出てきました。たぶんデンソーカップでしょうね。今はだいぶ違うでしょうが、日本と韓国って大学サッカーが強いという世界では珍しい特徴を持っていた国。共通点がありますね。
 Wikipediaによると、国内大学の地域対抗戦であるデンソーチャレンジカップ終了直後に開催していた学生東西対抗戦を1996年で発展解消して、1997年から2002年ワールドカップ・日韓大会の開催を記念して開催されるようになったのが「日韓大学対抗戦」だとのこと。東西対抗戦も見た覚えあるのですけど、結構前になくなっていたんですね。現在は日韓大学定期戦というそうです。

 私が見た当時のメンバーとメモ。1999年か2000年じゃないかと。メンバー見ると、プロ入りした覚えのある選手が多数。ただ、日本代表レベルがほとんど出てこなかった世代ですね。この頃でも世界的に見て日本の大学サッカーレベルは高かったのですけど、やはりJリーグ発足後は、ほとんどの選手をプロに取られるようになりました。
GK 鏑木
CB 小林大 △
CB 河口
LSB 金沢 △
RSB 川瀬
(交代 小林稔)
DH 小林慶 △
LSH 宮沢 〇 技術派
(交代 谷地)
RSH 戸田
OH 樹森大介 ✗(悪いという意味ではなく△の下) メモは「まずまずスピードある」のみ。ただ、好きなタイプだった記憶。検索すると、ベルマーレ入り。レギュラーを取れずともかなり試合に出ていた時期があったのですが、3年で戦力外通告。その後J2の水戸で主力としてプレーするもなぜか戦力外通告。不遇な感じですね。その後短期間の無所属から草津に行ってレギュラーになるもプロ引退。ここだけは戦力外通告ではなく、大学院受験のためでした。
FW 黒部 プロ入りしてからは好みだった気がするのですけど、ここでは無印でメモもありませんでした。
(交代 岡村) FWではなく中盤だったかも?
FW 盛田 〇 「長身・いい体格」とのメモ。全く好きなタイプではなかったはずなのですけど、評価はしていたみたいですね。


■2020/02/29 かつての韓国サッカーは実業団と大学が中心だった…

 大学サッカーについての補足。 Kリーグ1 - Wikipediaによると、現在のKリーグは1983年にスーパーリーグの名称で開始。れまでの大韓民国では1982年までは実業団リーグと実業団や大学連盟のトーナメント大会が主流だったといいます。
 要出典つきになっている部分ですが、大学関係ではさらに以下のような話もありました。これは大学が強かったという話ではなく、クラブ育成が弱いって話ですけどね。
< 過去において、Kリーグではヨーロッパのような育成組職は多くなく、優秀な人材は高校や大学、実業団に所属する選手からセレクトしてきた。大抵の選手は大学卒業後、Kリーグのクラブ入りする。高校卒業後、大学1年生在学中に、いきなりJリーグの京都パープルサンガ入りした朴智星のような例は、当地では異例中の異例であった。しかし、Jリーグを背景に長足の進化を遂げた日本に刺激を受け、近年ではサッカー協会がKリーグのクラブにユース組織結成を促すなど、選手育成システムの改善に力を入れている>


2026年4月27日月曜日

アビスパ一筋で「キング城後」と讃えられる城後寿 国見時代含めれば九州一筋にも

■2016/4/27 アビスパ一筋で「キング城後」と讃えられる城後寿 国見時代含めれば九州一筋にも



■2016/4/27 アビスパ一筋で「キング城後」と讃えられる城後寿 国見時代含めれば九州一筋にも

 2005年の高校選手権のメモが出てきました。ベスト4で敗れた国見の試合。1年前の経験者は4人で1人が怪我。小粒な印象でしたが、城後選手はWikipedia見るとその後活躍している感じ。
 城後選手に関する私のメモは長身と、肩幅大きくごついという身体的特徴のみ。Wikipediaを見ると、183cmでした。

-----引用 ここから-----
城後寿 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E5%BE%8C%E5%AF%BF

城後 寿(じょうご ひさし、1986年4月16日 - )は福岡県久留米市出身でアビスパ福岡所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。

生年月日     1986年4月16日(30歳)
出身地     福岡県久留米市
身長     183cm
体重     77kg
-----引用 ここまで-----

 アビスパ一筋で、なぜかキングと言われているとのこと。国見" 卒業後、Jリーグの複数クラブからオファーが届いたが、地元アビスパ福岡に入団した"ともあったものの、国見は長崎県です。九州一筋くらいな感じでしょうか。ただ、福岡県出身だから「地元」って意味ですね。

-----引用 ここから-----
2011年、アビスパは僅か1年でJ2に降格。この時もJ1のクラブからのオファーがありながらも、城後は2012年もアビスパ福岡でプレーする事を選び、福岡の選手の中で1番に契約更新をした。(中略)

長くアビスパに在籍し、背番号10番、エース、キャプテンという福岡の象徴であることから、サポーターからは『キング城後』と称えられている。 スタメン発表でもスタジアムDJから「城後"キング"寿」とコールされ、一番の盛り上がりを見せる。 サポーター席の目立つ位置に張られた横断幕にも本人の象徴画の物と『KING・JOGO』と記した物が掲げられている。
-----引用 ここまで-----

 また、子供の頃の話が印象に残りました。

-----引用 ここから-----
久留米市で生まれ育ち、出身校の久留米市立南小学校の生徒(同級生・同校生徒)の中では、城後=サッカーが上手くズバ抜けているという認識で、将来のプロサッカー選手になるだろうと誰もが思っていた。

さらに身体能力の高さは小学校の頃から有名で、久留米市立牟田山中学校時代は同校の陸上部に所属。陸上部での練習を終えた後、当時所属するサッカークラブの練習に参加していた。中学生の陸上競技(やり投げ)でジュニアオリンピック4位の記録を持つ。
-----引用 ここまで-----

 あと、小粒な印象とメモしていたんですが、一つ上が目立っていたせいかもしれません。Wikipediaには、"1学年上に平山相太、中村北斗、兵藤慎剛、関憲太郎がいる"とありました。この世代の国見は反則ってくらい、めちゃくちゃ強かった気がします。


2026年4月26日日曜日

スカウトは選手をモノ扱い、紹介選手のその後も興味なし

■2020/01/06 スカウトは選手をモノ扱い、紹介選手のその後も興味なし



■2020/01/06 スカウトは選手をモノ扱い、紹介選手のその後も興味なし

 1998年の対戦国ルポという記事の切り抜きが出てきました。たぶん読売新聞ですね。アルゼンチンの回で、スカウトの話でした。(記者名は、遠藤雅也)
 記者が話を聞いていたイジドーロさんは、やり手のスカウトだと評判。38歳だそうですけど、かなりハゲが進行しており、もっと年上に見える人。ただ、やり手と言われているように、写真の雰囲気は年取っているという感じではなく、ギラギラしたところがあります。
 サッカー少年らにやさしく話しかけるのですけど、これは飽くまでビジネス的なものでしょうね。サッカー少年は飽くまで稼ぐ手段であり、興味はなさそうでした。

 イジドーロさんが一番儲けたのは5年前。ある少年をあるチームに紹介したとき、適当に15万ペソ(2100万円)とふっかけました。イジドーロさんはかなり高い金額を言ったつもりでしたが、なんとその場で現金を渡されて驚いたそうです。
 少年の父親の取り分として半分の7.5万ペソを送ってすぐ、10万ペソが送り返されてきました。不思議に思って尋ねると、60万ペソでヨーロッパに移籍して、20万ペソをもらったため、また半分を律儀にスカウトに渡したようです。イジドーロさんは「一番儲けたときに一番損した」「交渉力と才能を見る目があれば」と悔しがります。

 さて、飽くまでビジネスだという話は、ここから。上記のような話を聞くと、その後少年がどうなったか気になると思うのですけど、イジドーロさんは「知らない」と素っ気なし。
 アルゼンチンでは当時クラブ経営が苦しく、有望な若手を安く買って高く売るビジネスでギリギリでやっていました。それを踏まえてなのか、選手はモノ扱いか?と尋ねると、選手も出世できて「皆が潤う。正当で夢のあるビジネスだ。どこか変かね」といった回答。アルゼンチンではイジドーロさん以外も似たようなことをよく言っていたそうです。記事では、批判的なニュアンスでした。
 とはいえ、私もスカウトがあることだけでしたら、別に全然悪いことだとは思いませんけどね。