■2021/05/27 ワールドカップを見たいなら出頭せよ!犯人が続々と投降
■2019/08/29 FC東京が前代未聞のアウェイ8連戦、ラグビーW杯のせい…
■2018/04/03 突然5分間消えたセルヒオ・ラモス、トイレが理由だった
■2021/05/27 ワールドカップを見たいなら出頭せよ!犯人が続々と投降
2002年ワールドカップが始まる少し前の2002.05.19に出た<W杯えさに出頭のお薦め、犯人誘惑に負け 英国 CNN.co.jp>という記事。どのようにワールドカップをえさにしたのか?というと、以下のようなものでした。一定の成果を挙げているとされていました。
・刑務所などでは当然、テレビのサッカー放映はないため、警察が軽犯罪を犯し、逃走中の犯人に「ワールドカップ(W杯)をテレビ観戦したかったら、早めに短期間の収監を済ませなさい」と手紙を出して出頭を促す。
・手紙を送り付けた結果、窃盗罪などに問われている犯人296人のうち、17人が最寄りの警察署に投降、10人が法廷に臨んだ。中には、迅速な収監に備え、身の回り品を詰めたバッグ持参の人間もいた。
http://www.cnn.co.jp/fringe/K2002051801191.html
手紙を出すには、犯人の居場所がわかる必要があります。逃走中なのに不思議な話であり、ここはわかりづらかったです。おそらく元住んでいた住居や関係先・潜伏先と思われる場所に手紙を出すことで、本人にも伝わったということじゃないかと想像。日本でもそうですが、家族や知人が匿っていて、警察がそこにいるという証拠を固めきれない…ということがありますからね。
また、普通に手紙作戦が良かった可能性もあります。というのも、サッカーに全然興味のない犯人の居場所特定にも効果があったらしく、手紙を送付した先などから60件の情報提供があったという話も書かれていたため。これもやはり関係先と警察が目星をつけたところに送ったということで、結果的にそこの人たちがむしろ警察の方に協力してくれた…ということじゃないかと思います。
■2019/08/29 FC東京が前代未聞のアウェイ8連戦、ラグビーW杯のせい…
FC東京が前代未聞のアウェイ8連戦だと今頃知って驚き。その記事では理由が書かれていなかったので検索して、ラグビーワールドカップのせいだと知りました。
F C東京の本拠地である味の素スタジアムは今秋のラグビーワールドカップで試合会場として使用。同大会期間付近に行われる24~31節の8試合は全てアウェイ開催となりました。
当然ながらホーム開催も偏ります。ホームゲーム全17試合中15試合が8月中旬までの間に行われるという変則開催です。
(FC東京、8月下旬から“アウェイ8連戦”が決定…ラグビーW杯開催の影響で | サッカーキング 2019/1/23より)
2連覇中の川崎フロンターレはホームで引き分けが多く、やや出遅れており、ホームだから勝てるとは限りません。ただ、この話を聞くと、目下トップで今年東京が好調だったのは、ホーム開催が多かったからかな…と思ってしまいます。この前代未聞の連続アウェイでどれだけ勝てるかは注目でしょう。
■2018/04/03 突然5分間消えたセルヒオ・ラモス、トイレが理由だった
レアル・マドリーのDFセルヒオラモスが、エイバル戦の後半38分、ロッカールームへ消えて5分間出てきませんでした。審判からのカードはなく、何が起きたかのかは謎でした。
これは後にジダン監督の「少しトイレに行っていた」との説明で判明。マルセロも取材エリアで「便意があったら記者だって行くだろ。普通のことだ」と擁護しました。まあ、仕方ないですけどね。たまにあるだけで普段は起きないことなので、なぜ?とは思います。
(セルヒオラモスのトイレに仲間かばう「普通のこと」 - スペイン : 日刊スポーツ[2018年3月11日19時39分]より)
記事にはありませんけど、これでもチームは勝っちゃいました。2-1の勝利です。あと、別記事によると、小便じゃなくて、大便だった模様。5分だと、小便にしては時間かかってましたものね。
もっとサッカーを!
2026年8月30日日曜日
2026年8月29日土曜日
リフティングは意味ある?意味ない?才能を潰す日本のコーチ
■2021/02/21 意味ある?意味ない?リフティングが下手でも代表の中心に
■2021/02/21 リフティングができない子は除外…才能を潰す日本のコーチ
■2021/07/18 コーチに叱られる指導は日本だけ?アルゼンチン選手が語る
■2021/02/21 意味ある?意味ない?リフティングが下手でも代表の中心に
<サッカーにリフティングはいらない? 下手でも日本代表になった選手の考え>(スポルティーバ 公式サイト web Sportiva)というタイトルを見た時点で思ったのは、「リフティングがうまい方がサッカーでは有利だけど、飽くまでリフティングはサッカーの一部でしかないのでできなくても大丈夫」という穏当なものでした。
現代サッカーではGKでも足元の技術が求められるためにリフティングのうまさは役立つところがあるでしょう。しかし、リフティングのうまさが求められるプレーは90分間の中では短く、ポジションによっても差があります。正直言ってリフティングがうまくても他が駄目なら使い物になりません。
「有機栽培野菜はいい野菜」という誤解みたいなものですかね。そもそも「有機栽培がいい」という考えそのものが誤解ですが、有機栽培は野菜の品質を決める一つの要素でしかありません。様々な条件によって決まってくるために、有機栽培かどうかというのは、ほとんど影響しないことがわかっています。
あと、ビジネスにおける英語みたいなのもそうでしょうか。英語がうまい方がそりゃ良いですが、他が駄目なら困ります。一時期ネットでは英語社内公用語化を叩いていたものの、実際の導入企業は「英語だけできれば良い」という考えではありませんでした。
で、先の記事<サッカーにリフティングはいらない? 下手でも日本代表になった選手の考え>ですが、てっきりちょっと日本代表に選ばれたことあるよ…くらいの選手だと思ったら福西崇史でびっくり。ジュビロ磐田の黄金期の中心メンバーであり、日本代表でも64試合7ゴールの戦績の守備的なMFでした。記事でも、2002年の日韓W杯、06年のドイツW杯に出場し、4度のJリーグベストイレブンという書き方です。
守備的なポジションということで、やはりうまさはそれほど求められないところ。福西崇史は高い身体能力が売りというタイプでしたね。ただ、ジュビロ磐田でも当初はFWだったそうなので、それまでのサッカー人生ではリフティング技術を求められることがあったのかもしれません。
■2021/02/21 リフティングができない子は除外…才能を潰す日本のコーチ
<「リフティングが苦手」で、子どもの頃は「100回もできなかった」と話す。
「小学生の頃から、チームのなかで(リフティングは)上手なほうではなかったですね。だからイベントなどで『リフティングをやってください』と言われると、めちゃくちゃ緊張します。リフティングで、足をくるくる回したりするサッカー選手は多いけど、僕はできないので(笑)」
福西氏がサッカーを始めたのは、小学4年生の時。いまどきの子に比べると、はるかに遅いスタートである>
日本の少年サッカーには「リフティングが○回できないと、練習に参加させない」といった決まりがあるチームも少なくないとのこと。福西も「僕もそのような場面に遭遇したことがあります」としていました。福西さんの息子がまさにそういうチームだったので、いっしょに練習したそうです。リフティングにこだわってしまうことで、サッカーの才能発揮を阻害している感じがあります。
<リフティングが上手だからといって、ピッチ上のプレーに直結するかというと、そうとも限らない。サッカーには足でのボールコントロール以外にも、蹴ったり、走ったり、ヘディングしたり、相手とぶつかったりと、たくさんのすべきことがある。
「リフティングはシュート練習、パス練習と同じで、サッカーの練習のひとつですよね。リフティングができなくても、ほかの部分に特長のある選手はいます。指導者目線で言うと、『リフティングができないから、この選手はダメだ』というジャッジはしないほうがいいですよね。リフティングだけが、サッカーの上手い、下手をはかる基準ではないですから」>
あと、足先でボールを細かく突く、福西崇史が名付けた「ちょんちょんリフティング」が多い…と言われて、ハッとしました。これは本当にサッカーの試合で使われることは極めてまれ。なので、福西崇史は、インサイドでボールを突く「とんとんリフティング」もやるように勧めているそうです。
■2021/07/18 コーチに叱られる指導は日本だけ?アルゼンチン選手が語る
日本のサッカー指導に関する話があったのでここに追記。ただ、その話はちょっとでしたし、当初の中心であるリフティングは一切関係なし。もともとは、<アルゼンチン代表が28年ぶりにタイトル獲得。メッシ34歳にして、ついに初栄冠!>(林壮一 | ノンフィクションライター 2021/7/12(月) 0:01)という話でした。
これは、埼玉県のジュニアユース、トリコロールFCのコーチとして指揮を執っている、元アルゼンチンユース代表&ビーチサッカーアルゼンチン代表であるセルヒオ・エスクデロさんに、コパアメリカでVを飾った祖国代表チームについて聞いたというものなので、大半はそういった内容です。ただ、最後でコーチに関する話が少し出てきました。
<サッカーって楽しいものです。でも、日本人は小学生の頃から監督やコーチにガミガミ言われ、怒鳴られ、時には暴力まで振るわれている子がいっぱいいます。
メッシもネイマールも、今回のコパアメリカに出場した選手たちも、そんな妙な指導は受けていません。日本で、誰もが心底サッカーを好きになれる指導をしなければと、改めて感じました>
https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20210712-00247465/
「体罰」に関して言えば、サッカーは野球より少ないという調査結果を見たことがあります。ただ、少なかったとしても、「ある」という時点で海外から見ると異常なんでしょうね。セルヒオ・エスクデロさんから見ると、スポーツ以外でも日本人が多用する「叱る」すら異常に見える模様。実際、研究結果でも叱る教育は効果が高いわけではないとわかっているので、この理解で良いと思われます。
■2021/02/21 リフティングができない子は除外…才能を潰す日本のコーチ
■2021/07/18 コーチに叱られる指導は日本だけ?アルゼンチン選手が語る
■2021/02/21 意味ある?意味ない?リフティングが下手でも代表の中心に
<サッカーにリフティングはいらない? 下手でも日本代表になった選手の考え>(スポルティーバ 公式サイト web Sportiva)というタイトルを見た時点で思ったのは、「リフティングがうまい方がサッカーでは有利だけど、飽くまでリフティングはサッカーの一部でしかないのでできなくても大丈夫」という穏当なものでした。
現代サッカーではGKでも足元の技術が求められるためにリフティングのうまさは役立つところがあるでしょう。しかし、リフティングのうまさが求められるプレーは90分間の中では短く、ポジションによっても差があります。正直言ってリフティングがうまくても他が駄目なら使い物になりません。
「有機栽培野菜はいい野菜」という誤解みたいなものですかね。そもそも「有機栽培がいい」という考えそのものが誤解ですが、有機栽培は野菜の品質を決める一つの要素でしかありません。様々な条件によって決まってくるために、有機栽培かどうかというのは、ほとんど影響しないことがわかっています。
あと、ビジネスにおける英語みたいなのもそうでしょうか。英語がうまい方がそりゃ良いですが、他が駄目なら困ります。一時期ネットでは英語社内公用語化を叩いていたものの、実際の導入企業は「英語だけできれば良い」という考えではありませんでした。
で、先の記事<サッカーにリフティングはいらない? 下手でも日本代表になった選手の考え>ですが、てっきりちょっと日本代表に選ばれたことあるよ…くらいの選手だと思ったら福西崇史でびっくり。ジュビロ磐田の黄金期の中心メンバーであり、日本代表でも64試合7ゴールの戦績の守備的なMFでした。記事でも、2002年の日韓W杯、06年のドイツW杯に出場し、4度のJリーグベストイレブンという書き方です。
守備的なポジションということで、やはりうまさはそれほど求められないところ。福西崇史は高い身体能力が売りというタイプでしたね。ただ、ジュビロ磐田でも当初はFWだったそうなので、それまでのサッカー人生ではリフティング技術を求められることがあったのかもしれません。
■2021/02/21 リフティングができない子は除外…才能を潰す日本のコーチ
<「リフティングが苦手」で、子どもの頃は「100回もできなかった」と話す。
「小学生の頃から、チームのなかで(リフティングは)上手なほうではなかったですね。だからイベントなどで『リフティングをやってください』と言われると、めちゃくちゃ緊張します。リフティングで、足をくるくる回したりするサッカー選手は多いけど、僕はできないので(笑)」
福西氏がサッカーを始めたのは、小学4年生の時。いまどきの子に比べると、はるかに遅いスタートである>
日本の少年サッカーには「リフティングが○回できないと、練習に参加させない」といった決まりがあるチームも少なくないとのこと。福西も「僕もそのような場面に遭遇したことがあります」としていました。福西さんの息子がまさにそういうチームだったので、いっしょに練習したそうです。リフティングにこだわってしまうことで、サッカーの才能発揮を阻害している感じがあります。
<リフティングが上手だからといって、ピッチ上のプレーに直結するかというと、そうとも限らない。サッカーには足でのボールコントロール以外にも、蹴ったり、走ったり、ヘディングしたり、相手とぶつかったりと、たくさんのすべきことがある。
「リフティングはシュート練習、パス練習と同じで、サッカーの練習のひとつですよね。リフティングができなくても、ほかの部分に特長のある選手はいます。指導者目線で言うと、『リフティングができないから、この選手はダメだ』というジャッジはしないほうがいいですよね。リフティングだけが、サッカーの上手い、下手をはかる基準ではないですから」>
あと、足先でボールを細かく突く、福西崇史が名付けた「ちょんちょんリフティング」が多い…と言われて、ハッとしました。これは本当にサッカーの試合で使われることは極めてまれ。なので、福西崇史は、インサイドでボールを突く「とんとんリフティング」もやるように勧めているそうです。
■2021/07/18 コーチに叱られる指導は日本だけ?アルゼンチン選手が語る
日本のサッカー指導に関する話があったのでここに追記。ただ、その話はちょっとでしたし、当初の中心であるリフティングは一切関係なし。もともとは、<アルゼンチン代表が28年ぶりにタイトル獲得。メッシ34歳にして、ついに初栄冠!>(林壮一 | ノンフィクションライター 2021/7/12(月) 0:01)という話でした。
これは、埼玉県のジュニアユース、トリコロールFCのコーチとして指揮を執っている、元アルゼンチンユース代表&ビーチサッカーアルゼンチン代表であるセルヒオ・エスクデロさんに、コパアメリカでVを飾った祖国代表チームについて聞いたというものなので、大半はそういった内容です。ただ、最後でコーチに関する話が少し出てきました。
<サッカーって楽しいものです。でも、日本人は小学生の頃から監督やコーチにガミガミ言われ、怒鳴られ、時には暴力まで振るわれている子がいっぱいいます。
メッシもネイマールも、今回のコパアメリカに出場した選手たちも、そんな妙な指導は受けていません。日本で、誰もが心底サッカーを好きになれる指導をしなければと、改めて感じました>
https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20210712-00247465/
「体罰」に関して言えば、サッカーは野球より少ないという調査結果を見たことがあります。ただ、少なかったとしても、「ある」という時点で海外から見ると異常なんでしょうね。セルヒオ・エスクデロさんから見ると、スポーツ以外でも日本人が多用する「叱る」すら異常に見える模様。実際、研究結果でも叱る教育は効果が高いわけではないとわかっているので、この理解で良いと思われます。
2026年8月26日水曜日
読売天才少年のその後は悲惨?菊原志郎・財前宣之・山口貴之・戸塚哲也
■2021/10/09 読売天才少年のその後は悲惨?菊原志郎・財前宣之・山口貴之・戸塚哲也
■2021/10/09 戸塚哲也の代表試合数が少ないのは、日本代表を辞退したため
■2021/10/09 中田英寿も「財前宣之に認められたい」と言うほどの別格だった
■2021/10/09 読売天才少年のその後は悲惨?菊原志郎・財前宣之・山口貴之・戸塚哲也
菊原志郎のWikipediaを見ていたら、<読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)の下部組織で育ち、戸塚哲也から繋がり、菊原以後山口貴之、財前宣之へと続く「ヨミウリ天才少年」の系譜である>と書かれていました。ただ、これ、大成しなかった早熟の天才の系譜、失敗の系譜のような感じですね。
私には、「早熟の天才日本人選手は大成せずに失敗することが多い」というイメージがあったのですが、菊原志郎・財前宣之・山口貴之というのがまさにその代表例。そういや、読売ばっかりじゃん!とこれ見て気づきました。Jリーグ開幕後の失敗例として思い浮かぶ森本貴幸も、なぜか同じヴェルディという不思議な共通点があります。森本貴幸の場合は早くに海外に行ったので、日本やヴェルディの責任は薄いですけど…。
彼がきっかけだったので、まず、2番目の菊原志郎から始めましょうか。Wikipediaでは、以下のように書いていました。出た試合が少なすぎて、私もプレーの記憶がありません。Jリーグは15試合で、日本代表は5試合でした。
<1986年2月1日の日本サッカーリーグ第15節フジタ工業戦において16歳7ヶ月の若さでデビューを果たした。これは当時の最年少出場記録であった。その後レギュラーの座を掴み、ラモス瑠偉らと共に中盤を支え読売クラブの黄金時代を築き上げた。またこの活躍から「日本サッカーの未来を背負う男」とも呼ばれ[2]、1990年には日本代表に選出された。
読売時代は天才ドリブラー、テクニシャン等数々の異名をとったが、Jリーグ開幕前後は、層の厚いチームにあったため出場機会に恵まれず、日本代表にも招集されることはなかった>
■2021/10/09 戸塚哲也の代表試合数が少ないのは、日本代表を辞退したため
私が見始めたJリーグでは既に30歳を超えたベテランで、なおかつ既にハゲてきていた(と思ったのですが写真見るとはげておらず記憶違いかも)ので全く「少年」というイメージはないのですが、最初の戸塚哲也が唯一成功例な感じ。Wikipediaによると、代表試合数は18試合と少ないものの、読売を優先して辞退していたという経緯があり、本来ならもっとキャップ数が多かったはず。「読売でレギュラーを取るのは日本代表になるより難しい」を体現していた人でした。
<読売クラブの下部組織で育ち、天才少年と呼ばれた>
<1979年4月25日の東洋工業戦において、18歳と1日で日本サッカーリーグデビューを飾った[2]。これは当時の最年少出場記録でもあった。(中略)
1983年に監督に就任したルディ・グーテンドルフによってMFからFWへコンバート[3]。ポジションの変更は当時読売クラブでエースFWであったラモスとの単純な入れ替えであったと評す向きもあるが、翌1984年に14得点を上げリーグ得点王に輝いている。
日本リーグ末期からJリーグ黎明期の読売クラブ/ヴェルディ川崎の黄金期を支えるエースストライカーであった。キープ力に定評があり[3]、当時日本屈指のキープ力と称され、その懐深いドリブルは相手DFから球を奪われることは殆どなかった。また、JSL東西対抗戦(オールスターサッカー)などでも活躍した>
<1980年、19歳の時に日本代表に初選出。(中略)
その後も代表へ度々選出され、背番号10番を背負う事もあったが、1983年に個人的な理由から数年間代表入りを辞退していた[3]。当時戸塚はラモス瑠偉、ジャイロ・マトス、ジョージ与那城らブラジル人選手とパス交換を交わす読売クラブでのプレイに魅力を感じており、代表合宿に参加するとクラブに戻った際にブラジル人トリオとの息が合わない事が多かった。そのためアマチュアである代表チームよりも、お金にもなるクラブに専念したかったのである。しかし1985年に行われた1986 FIFAワールドカップ・アジア予選では森孝慈監督の強い要望もあり、日本へ帰化したジョージ与那城と共に最終予選東京・ソウルでの韓国戦2試合に出場した>
■2021/10/09 中田英寿も「財前宣之に認められたい」と言うほどの別格だった
私が一番楽しみにしていたのは、山口貴之。彼の場合はJリーグでもかなり出ていたものの、不思議とあんまり記憶に残っていません。J1は153試合。京都のイメージが強かったものの、Wikipediaによると、いろんなチームを転々としています。各年代の代表には選ばれていますが、フル代表に呼ばれるほどの活躍はできませんでした。
<1992年、ヴェルディ川崎トップチームに昇格する。
戸塚哲也、菊原志郎から繋がり、財前宣之へと続く「ヨミウリ天才少年」の系譜を受け継ぐ。司令塔タイプとしてユース時代から注目され、「ラモス2世」の呼び声もあった。その後数多くのクラブに移籍、また日本代表選手として、U-16、U-19、U-23アトランタオリンピック代表などにも選出された>
最後の財前宣之が一番覚えている選手で、仙台の中心選手として長く試合に出ていました。ただ、Wikipediaによると、J1は37試合のみで、J2が222試合というのは記憶と違います。だいぶ見た気がしたんですけど、J2で見たのかな…?。
ジュニアユースやユース時代からよく名前が出ていて楽しみにしていた選手です。4人の中では一番好きですね。ただ、こちらもユース時代の評価からはかなり物足りない結果に。
仙台では「天才だから特別扱い」ということはなく、運動量がむしろ多く、よく動いていました。ただ、代表レベルには物足りないプレーの質で、代表にも呼ばれず。ユース年代が最後の代表となりました。度重なる怪我に泣かされた面もありますね。
<中田英寿も認めた才能の持ち主[2](運動量なら中田、パスセンスなら財前と言われていた)だったが、度重なる膝の怪我に苦しんだ(靭帯断裂を3度)。戸塚哲也、菊原志郎、山口貴之と続く「ヨミウリ天才少年」の系譜を受け継ぐ。1993年のU-17世界選手権U-17日本代表のチームメイトからは中田を含め4人が後の日本代表に選出されたが、彼らはまず如何にして財前に認められるかを考えていたという。
中学時代から読売ユースに所属。読売への入団テストでは、当時の小見幸隆コーチをして「ボールをもった瞬間に合格」と言わしめ、サッカーファンは「まだ見ぬ財前」に期待を高めた。高校時代は東京実業高校に通いながら読売ユースに所属し、1993年のU-17世界選手権ではU-17日本代表の中心選手として、リーグ戦3試合全てでマンオブザマッチを獲得しベスト8進出に貢献、大会ベストイレブンにも選出された。>
■2021/10/09 戸塚哲也の代表試合数が少ないのは、日本代表を辞退したため
■2021/10/09 中田英寿も「財前宣之に認められたい」と言うほどの別格だった
■2021/10/09 読売天才少年のその後は悲惨?菊原志郎・財前宣之・山口貴之・戸塚哲也
菊原志郎のWikipediaを見ていたら、<読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)の下部組織で育ち、戸塚哲也から繋がり、菊原以後山口貴之、財前宣之へと続く「ヨミウリ天才少年」の系譜である>と書かれていました。ただ、これ、大成しなかった早熟の天才の系譜、失敗の系譜のような感じですね。
私には、「早熟の天才日本人選手は大成せずに失敗することが多い」というイメージがあったのですが、菊原志郎・財前宣之・山口貴之というのがまさにその代表例。そういや、読売ばっかりじゃん!とこれ見て気づきました。Jリーグ開幕後の失敗例として思い浮かぶ森本貴幸も、なぜか同じヴェルディという不思議な共通点があります。森本貴幸の場合は早くに海外に行ったので、日本やヴェルディの責任は薄いですけど…。
彼がきっかけだったので、まず、2番目の菊原志郎から始めましょうか。Wikipediaでは、以下のように書いていました。出た試合が少なすぎて、私もプレーの記憶がありません。Jリーグは15試合で、日本代表は5試合でした。
<1986年2月1日の日本サッカーリーグ第15節フジタ工業戦において16歳7ヶ月の若さでデビューを果たした。これは当時の最年少出場記録であった。その後レギュラーの座を掴み、ラモス瑠偉らと共に中盤を支え読売クラブの黄金時代を築き上げた。またこの活躍から「日本サッカーの未来を背負う男」とも呼ばれ[2]、1990年には日本代表に選出された。
読売時代は天才ドリブラー、テクニシャン等数々の異名をとったが、Jリーグ開幕前後は、層の厚いチームにあったため出場機会に恵まれず、日本代表にも招集されることはなかった>
■2021/10/09 戸塚哲也の代表試合数が少ないのは、日本代表を辞退したため
私が見始めたJリーグでは既に30歳を超えたベテランで、なおかつ既にハゲてきていた(と思ったのですが写真見るとはげておらず記憶違いかも)ので全く「少年」というイメージはないのですが、最初の戸塚哲也が唯一成功例な感じ。Wikipediaによると、代表試合数は18試合と少ないものの、読売を優先して辞退していたという経緯があり、本来ならもっとキャップ数が多かったはず。「読売でレギュラーを取るのは日本代表になるより難しい」を体現していた人でした。
<読売クラブの下部組織で育ち、天才少年と呼ばれた>
<1979年4月25日の東洋工業戦において、18歳と1日で日本サッカーリーグデビューを飾った[2]。これは当時の最年少出場記録でもあった。(中略)
1983年に監督に就任したルディ・グーテンドルフによってMFからFWへコンバート[3]。ポジションの変更は当時読売クラブでエースFWであったラモスとの単純な入れ替えであったと評す向きもあるが、翌1984年に14得点を上げリーグ得点王に輝いている。
日本リーグ末期からJリーグ黎明期の読売クラブ/ヴェルディ川崎の黄金期を支えるエースストライカーであった。キープ力に定評があり[3]、当時日本屈指のキープ力と称され、その懐深いドリブルは相手DFから球を奪われることは殆どなかった。また、JSL東西対抗戦(オールスターサッカー)などでも活躍した>
<1980年、19歳の時に日本代表に初選出。(中略)
その後も代表へ度々選出され、背番号10番を背負う事もあったが、1983年に個人的な理由から数年間代表入りを辞退していた[3]。当時戸塚はラモス瑠偉、ジャイロ・マトス、ジョージ与那城らブラジル人選手とパス交換を交わす読売クラブでのプレイに魅力を感じており、代表合宿に参加するとクラブに戻った際にブラジル人トリオとの息が合わない事が多かった。そのためアマチュアである代表チームよりも、お金にもなるクラブに専念したかったのである。しかし1985年に行われた1986 FIFAワールドカップ・アジア予選では森孝慈監督の強い要望もあり、日本へ帰化したジョージ与那城と共に最終予選東京・ソウルでの韓国戦2試合に出場した>
■2021/10/09 中田英寿も「財前宣之に認められたい」と言うほどの別格だった
私が一番楽しみにしていたのは、山口貴之。彼の場合はJリーグでもかなり出ていたものの、不思議とあんまり記憶に残っていません。J1は153試合。京都のイメージが強かったものの、Wikipediaによると、いろんなチームを転々としています。各年代の代表には選ばれていますが、フル代表に呼ばれるほどの活躍はできませんでした。
<1992年、ヴェルディ川崎トップチームに昇格する。
戸塚哲也、菊原志郎から繋がり、財前宣之へと続く「ヨミウリ天才少年」の系譜を受け継ぐ。司令塔タイプとしてユース時代から注目され、「ラモス2世」の呼び声もあった。その後数多くのクラブに移籍、また日本代表選手として、U-16、U-19、U-23アトランタオリンピック代表などにも選出された>
最後の財前宣之が一番覚えている選手で、仙台の中心選手として長く試合に出ていました。ただ、Wikipediaによると、J1は37試合のみで、J2が222試合というのは記憶と違います。だいぶ見た気がしたんですけど、J2で見たのかな…?。
ジュニアユースやユース時代からよく名前が出ていて楽しみにしていた選手です。4人の中では一番好きですね。ただ、こちらもユース時代の評価からはかなり物足りない結果に。
仙台では「天才だから特別扱い」ということはなく、運動量がむしろ多く、よく動いていました。ただ、代表レベルには物足りないプレーの質で、代表にも呼ばれず。ユース年代が最後の代表となりました。度重なる怪我に泣かされた面もありますね。
<中田英寿も認めた才能の持ち主[2](運動量なら中田、パスセンスなら財前と言われていた)だったが、度重なる膝の怪我に苦しんだ(靭帯断裂を3度)。戸塚哲也、菊原志郎、山口貴之と続く「ヨミウリ天才少年」の系譜を受け継ぐ。1993年のU-17世界選手権U-17日本代表のチームメイトからは中田を含め4人が後の日本代表に選出されたが、彼らはまず如何にして財前に認められるかを考えていたという。
中学時代から読売ユースに所属。読売への入団テストでは、当時の小見幸隆コーチをして「ボールをもった瞬間に合格」と言わしめ、サッカーファンは「まだ見ぬ財前」に期待を高めた。高校時代は東京実業高校に通いながら読売ユースに所属し、1993年のU-17世界選手権ではU-17日本代表の中心選手として、リーグ戦3試合全てでマンオブザマッチを獲得しベスト8進出に貢献、大会ベストイレブンにも選出された。>
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