2026年8月26日水曜日

読売天才少年のその後は悲惨?菊原志郎・財前宣之・山口貴之・戸塚哲也

■2021/10/09 読売天才少年のその後は悲惨?菊原志郎・財前宣之・山口貴之・戸塚哲也
■2021/10/09 戸塚哲也の代表試合数が少ないのは、日本代表を辞退したため
■2021/10/09 中田英寿も「財前宣之に認められたい」と言うほどの別格だった



■2021/10/09 読売天才少年のその後は悲惨?菊原志郎・財前宣之・山口貴之・戸塚哲也

 菊原志郎のWikipediaを見ていたら、<読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)の下部組織で育ち、戸塚哲也から繋がり、菊原以後山口貴之、財前宣之へと続く「ヨミウリ天才少年」の系譜である>と書かれていました。ただ、これ、大成しなかった早熟の天才の系譜、失敗の系譜のような感じですね。
 私には、「早熟の天才日本人選手は大成せずに失敗することが多い」というイメージがあったのですが、菊原志郎・財前宣之・山口貴之というのがまさにその代表例。そういや、読売ばっかりじゃん!とこれ見て気づきました。Jリーグ開幕後の失敗例として思い浮かぶ森本貴幸も、なぜか同じヴェルディという不思議な共通点があります。森本貴幸の場合は早くに海外に行ったので、日本やヴェルディの責任は薄いですけど…。

 彼がきっかけだったので、まず、2番目の菊原志郎から始めましょうか。Wikipediaでは、以下のように書いていました。出た試合が少なすぎて、私もプレーの記憶がありません。Jリーグは15試合で、日本代表は5試合でした。

<1986年2月1日の日本サッカーリーグ第15節フジタ工業戦において16歳7ヶ月の若さでデビューを果たした。これは当時の最年少出場記録であった。その後レギュラーの座を掴み、ラモス瑠偉らと共に中盤を支え読売クラブの黄金時代を築き上げた。またこの活躍から「日本サッカーの未来を背負う男」とも呼ばれ[2]、1990年には日本代表に選出された。
 読売時代は天才ドリブラー、テクニシャン等数々の異名をとったが、Jリーグ開幕前後は、層の厚いチームにあったため出場機会に恵まれず、日本代表にも招集されることはなかった>


■2021/10/09 戸塚哲也の代表試合数が少ないのは、日本代表を辞退したため

 私が見始めたJリーグでは既に30歳を超えたベテランで、なおかつ既にハゲてきていた(と思ったのですが写真見るとはげておらず記憶違いかも)ので全く「少年」というイメージはないのですが、最初の戸塚哲也が唯一成功例な感じ。Wikipediaによると、代表試合数は18試合と少ないものの、読売を優先して辞退していたという経緯があり、本来ならもっとキャップ数が多かったはず。「読売でレギュラーを取るのは日本代表になるより難しい」を体現していた人でした。

<読売クラブの下部組織で育ち、天才少年と呼ばれた>
<1979年4月25日の東洋工業戦において、18歳と1日で日本サッカーリーグデビューを飾った[2]。これは当時の最年少出場記録でもあった。(中略)
1983年に監督に就任したルディ・グーテンドルフによってMFからFWへコンバート[3]。ポジションの変更は当時読売クラブでエースFWであったラモスとの単純な入れ替えであったと評す向きもあるが、翌1984年に14得点を上げリーグ得点王に輝いている。
日本リーグ末期からJリーグ黎明期の読売クラブ/ヴェルディ川崎の黄金期を支えるエースストライカーであった。キープ力に定評があり[3]、当時日本屈指のキープ力と称され、その懐深いドリブルは相手DFから球を奪われることは殆どなかった。また、JSL東西対抗戦(オールスターサッカー)などでも活躍した>
<1980年、19歳の時に日本代表に初選出。(中略)
その後も代表へ度々選出され、背番号10番を背負う事もあったが、1983年に個人的な理由から数年間代表入りを辞退していた[3]。当時戸塚はラモス瑠偉、ジャイロ・マトス、ジョージ与那城らブラジル人選手とパス交換を交わす読売クラブでのプレイに魅力を感じており、代表合宿に参加するとクラブに戻った際にブラジル人トリオとの息が合わない事が多かった。そのためアマチュアである代表チームよりも、お金にもなるクラブに専念したかったのである。しかし1985年に行われた1986 FIFAワールドカップ・アジア予選では森孝慈監督の強い要望もあり、日本へ帰化したジョージ与那城と共に最終予選東京・ソウルでの韓国戦2試合に出場した>    


■2021/10/09 中田英寿も「財前宣之に認められたい」と言うほどの別格だった

 私が一番楽しみにしていたのは、山口貴之。彼の場合はJリーグでもかなり出ていたものの、不思議とあんまり記憶に残っていません。J1は153試合。京都のイメージが強かったものの、Wikipediaによると、いろんなチームを転々としています。各年代の代表には選ばれていますが、フル代表に呼ばれるほどの活躍はできませんでした。

<1992年、ヴェルディ川崎トップチームに昇格する。
 戸塚哲也、菊原志郎から繋がり、財前宣之へと続く「ヨミウリ天才少年」の系譜を受け継ぐ。司令塔タイプとしてユース時代から注目され、「ラモス2世」の呼び声もあった。その後数多くのクラブに移籍、また日本代表選手として、U-16、U-19、U-23アトランタオリンピック代表などにも選出された>

 最後の財前宣之が一番覚えている選手で、仙台の中心選手として長く試合に出ていました。ただ、Wikipediaによると、J1は37試合のみで、J2が222試合というのは記憶と違います。だいぶ見た気がしたんですけど、J2で見たのかな…?。
 ジュニアユースやユース時代からよく名前が出ていて楽しみにしていた選手です。4人の中では一番好きですね。ただ、こちらもユース時代の評価からはかなり物足りない結果に。
 仙台では「天才だから特別扱い」ということはなく、運動量がむしろ多く、よく動いていました。ただ、代表レベルには物足りないプレーの質で、代表にも呼ばれず。ユース年代が最後の代表となりました。度重なる怪我に泣かされた面もありますね。

<中田英寿も認めた才能の持ち主[2](運動量なら中田、パスセンスなら財前と言われていた)だったが、度重なる膝の怪我に苦しんだ(靭帯断裂を3度)。戸塚哲也、菊原志郎、山口貴之と続く「ヨミウリ天才少年」の系譜を受け継ぐ。1993年のU-17世界選手権U-17日本代表のチームメイトからは中田を含め4人が後の日本代表に選出されたが、彼らはまず如何にして財前に認められるかを考えていたという。
 中学時代から読売ユースに所属。読売への入団テストでは、当時の小見幸隆コーチをして「ボールをもった瞬間に合格」と言わしめ、サッカーファンは「まだ見ぬ財前」に期待を高めた。高校時代は東京実業高校に通いながら読売ユースに所属し、1993年のU-17世界選手権ではU-17日本代表の中心選手として、リーグ戦3試合全てでマンオブザマッチを獲得しベスト8進出に貢献、大会ベストイレブンにも選出された。>

2026年8月25日火曜日

サッカーの女子監督 日本ではミラグロス・マルティネス監督

■2021/02/28 サッカーの女子監督 日本ではミラグロス・マルティネス監督
■2017/02/22 男子プロ初のリーグ優勝女性監督チャン・イェンティン 香港のイースタンを率いる
■2017/03/18 世界の女性監督 パトリシア・パニーコ、コリンヌ・ディアクル
■2017/05/15 チャン・ユエンティン氏、監督就任の経緯
■2017/05/15 科学的で研究の裏付けがある指導法のチャン・ユエンティン監督
■2017/05/15 イースタンSCと川崎フロンターレの感動のエピソード
■2017/06/24 ドイツ一部で初の女性スカウトと初の女性主審 ヘレナ・コスタ元仏2部監督とビビアナ・シュタインハウス氏


■2021/02/28 サッカーの女子監督 日本ではミラグロス・マルティネス監督

 JFL・Jリーグを含めて、「日本サッカー史上初めて」という言い方がされていますが、日本初の外国人女性監督は、鈴鹿アンリミテッドのスペイン人女性のミラグロス・マルティネス・ドミンゲス監督。招聘当時まだ33歳であり、これまではスペイン国内で指導してきたとのことで、実績があったわけではなさそうなんですけどね。
 これを紹介した記事JFLで史上初の外国人女性監督が誕生…世界で実績を残してきた女性たち | サッカーキング(2019/3/16)では、他の女性監督も紹介していました。うちでもともと書いていたチャン・ユエンティン監督以外の人を短めにまとめて引用します。

コリーヌ・ディアクル 国籍:フランス
<現役時代にフランス女子代表DFとして121試合に出場し、キャプテンまで務めたプレーヤー。(中略)2014年6月にリーグ・ドゥ(フランス2部)のクレルモン・フットの監督に就任。欧州のプロサッカーリーグで初めて、男子のクラブを率いて公式戦を戦った女性になった。すると就任初年度はリーグ12位、2年目は7位という好成績を残し、『フランス・フットボール』誌が選出する2015年のリーグ・ドゥ最優秀監督にも選出された。この活躍が高く評価され、2017年8月からはフランスの女子代表チームを指揮>

エレナ・コスタ 国籍:ポルトガル
<ベンフィカの男子ユースチーム、カタール女子代表、イラン女子代表などで指揮官を務めたあと、2014年5月にクレルモン・フットの監督に就任。欧州の男子プロサッカー界で初めて監督に任命された女性とあって、当時は世界中から大きな注目を集めた。しかし、(引用者注:シーズン開幕の)わずか1カ月でクラブとの契約を解除。(中略)ブンデスリーガ初の女性スカウトとしてフランクフルトに入団>

イムケ・ビュッベンホースト 国籍:ドイツ
<ドイツサッカー史上初めて、男子チームを率いる女性監督がイムケ・ビュッベンホーストだ。U-19世代の欧州王者に輝いたこともある彼女は、ドイツ5部リーグに在籍するBVクロッペンブルクの女子チームで選手兼コーチとして活躍していた。だが、男子チームの監督が他クラブへ“移籍”したため、昨年12月から後任を務めることに>

パトリツィア・パニーコ 国籍:イタリア
<約20年間にわたってイタリア女子代表でもプレー。同国女子代表の最多出場記録と最多得点記録を保持する、(中略)2016年の現役引退後、イタリアU-16男子代表のアシスタントコーチに就任。翌年には監督に昇格し、イタリア男子サッカー界初の女性指揮官となった。昨年8月からは同U-15男子代表の監督を務めており、“カルチョ”の復権に向けて日々尽力している>

■2017/02/22 男子プロ初のリーグ優勝女性監督チャン・イェンティン 香港のイースタンを率いる

 そういえば、女性監督とかコーチとかって、全然聞いたことなかったですね。
 残念なことに、サッカーにおいては、ときどき性別的な役割などについて時代錯誤な主張をする人がいます。指導者の性別の偏りもそういったものなのかもしれません。

ACL初の女性監督、名将フェリポンに挑む。3月に川崎Fと対戦 フットボールチャンネル | スポーツ | 2017年02月21日

 記事そのものは、2017年のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)で、大会史上初の女性監督が誕生するというもの。
 ただ、香港のイースタンを率いるチャン・イェンティン監督は、それ以前に勲章を持っています。

 「男子プロサッカーチームをトップリーグで優勝に導いた初めての女性監督」としてギネス世界記録です。

 記事によれば、2008年から13年にかけて女子香港代表選手だったチャン監督は、2015年12月にイースタンの監督に就任。そして、2016年4月には、チームを香港プレミアリーグ優勝に導いたとされていました。

 就任から優勝が短いですね。途中交代での就任でしょうか?

 ここらへんの経緯を知りたかったものの、全然情報なし。
 あと、これを調べていて「イースタン」というシンプルな名前は現地だと「東方」という表記っぽいことがわかりました。これまたシンプルです。
 ただ、「イースタンSC」の表記もあります。「SC」はサッカークラブだと思ったら、「Eastern Sports Club」みたいです。
 そして、こちらは漢字表記だと、「東方體育會」みたいです。えらく難しく見えますが、たぶん日本では旧字とされているものというだけで、現代の日本語表記だと「東方体育会」。結局、シンプルでした。


■2017/03/18 世界の女性監督 パトリシア・パニーコ、コリンヌ・ディアクル

 本来イタリアU-16代表を指揮するダニエレ・ツォラート監督がU-19代表の欧州選手権予選に帯同するための代理という形ですが、イタリアU-16代表対ドイツU-16代表の親善試合で、パトリシア・パニーコ氏がイタリアの監督としてベンチに座るそうです。
  イタリアで世代別を含めて男子の代表チームを女性が率いるのは初めて。ただ、それだけでなく、 ヨーロッパ強豪国の男子代表チーム初の女性監督のようです。

 彼女は、1975年生まれの42歳。元選手であり、イタリア女子代表として204試合に出場して110ゴールを挙げ、同国の女子代表最多得点記録を保持、2015年にはイタリアサッカー殿堂入りも果たしたレジェンドでした。

 女性がイタリア男子U-16代表監督に! ドイツとの親善試合でベンチ入りへ フットボールチャンネル | スポーツ | 2017年03月17

 記事では他に前述のチャン・ユエンティン監督の名前がありました。さらに、フランス2部のクレルモン・フット63でコリンヌ・ディアクル監督が辣腕をふるっており、女性指導者が男子トップレベルの選手を指導するケースは増えてきている、ともありました。

 ビジネスや政治や研究などがそうであるように、女性が活躍できないということはありませんから、今後こういったことは増えていくでしょう。
 国際的な学力テストの成績や大学進学率を見ると、 女性が上回っていることが一般的であり、むしろ女性の方が能力が高いかもしれません。

 ただ、前回書かなかったネガティブなことも書いておきます。同じ功績、あるいは、同じ失敗であったとしても、それが男性か女性かによって、大きく評価が変わることが多くの研究からわかっています。
 全く 同じ内容であっても、女性の方が男性より低い評価しかもらえない上に、問題があった場合は激しく叩かれ厳しい罰を与えられるのです。
 スポーツの世界は特に遅れていますので、女性監督らの未来はかなりの困難が予想されます。


■2017/05/15 チャン・ユエンティン氏、監督就任の経緯

  チャン・ユエンティン監督のインタビュー記事がありました。

ACL初の女性監督が語る指導者論。28歳の新米監督が乗り越えた困難、そして川崎への感謝 フットボールチャンネル | スポーツ | 2017年05月10日(取材・文:舩木渉)

 「それまで監督をした経験はなかった」というチャン・ユエンティン監督。2010年頃から2013年まで別のチームのデータアナリストや下部組織のコーチを務め、2015年夏にアシスタントコーチになったばかりの新米指導者でした。

 そんな彼女が2015年12月にチームの監督になったのは、前任者であるた楊正光(ヨン・チンクォン)前監督が中国2部の梅州客家に引き抜かれたため。元々はアシスタントコーチだったチャン監督は、前任者と梁守志(ピーター・リョン)GMの強い推薦によって、シーズン途中からイースタンSCを率いることになりました。

 女性への評価が厳しくなることが研究でわかっていると以前書いたように、当初は懐疑的に見られていたようです、瞬く間にチームをまとめ上げて優勝。イースタンSCはなんと21年ぶりのリーグ優勝だったというから立派です。

 ただ、昨年のシーズンオフに、長年クラブに投資してきたオーナーが支援撤退を表明。昨年8月に新しいスポンサーが見つかって、リーグ戦やACL出場辞退は免れたものの、あまり良い状態ではなかったようです。



■2017/05/15 科学的で研究の裏付けがある指導法のチャン・ユエンティン監督

 チャン監督は女性という点が注目されがちですが、若すぎることもまた非常に難しいことになっています。"自分よりも年上の選手たちが多いチームを団結させるには相当な困難"があるというのが、一般的なはずです。

 選手との信頼構築において彼女が最も重要視していたのは、正攻法である綿密なコミュニケーションでした。元々データアナリストだった経験を生かし、数字に基づいて選手個人と対話を重ねることで互いの信頼を深めていったとのこと。科学的ですね。

 実際、元香港女子代表選手でありながら、香港中文大学の大学院を修了という異色の経歴。専攻は運動医学や健康科学分野で、「データによる分析や知識は選手たちを強くします」と語る通り、サッカーにおけるスポーツ科学の重要性を理解している人物なんだそうです。

「データ分析は自分のことを理解し、相手のことも理解することができます。データによる証明は選手たちに自信を与えることにもつながります。チームに問題があればそれを伝え、選手たちはその問題を理解する。そうすれば解決法も見つかり、チームとして成長することができるんです」

 また、以下のようなことも言っていました。

「私と選手たちは互いをリスペクトしています。素晴らしい経験やフットボールに関する優れた知見を持っている選手もいますし、私が彼らの話に耳を傾けて知識を得ることもあります。監督は固定観念に縛られてはいけないと思っています。互いから学ばなければならない。そうすれば彼らも監督という仕事を理解して常に敬意を払ってくれ、私の決断についてきてくれます」

 若さや女性出ることは舐められる要因になるものの、部下である選手たちを理解しようという行動を起こしやすくなるのかもしれません。ビジネスや子供の教育の場合、このように相手を理解するということが重要だとわかっています。サッカーでも同様でしょう。


■2017/05/15 イースタンSCと川崎フロンターレの感動のエピソード

 なお、香港は男女平等が進んでいる特殊な国だということを指摘していました。

「(女性のコーチが出てくるかは)その土地の文化しだいだと思います。香港では男女平等が進んでいます。それによって女性でも監督になれるチャンスがありました」

 あと、ACLグループステージ第2節、川崎FがアウェイでイースタンSCと対戦した試合、チケットは地元ファンによって即完売となり、当日券を求めて渡航した多くのフロンターレサポーターのために、チャン監督が、クラブから余っているチケットを自腹で買い取ってフロンターレサポーターに配ったという噂について。

 これは自費というのは間違いであるものの、チケット配布は本当だそうです。すごい話ですね。

「私は一銭も払っていませんよ(笑)。チケットをクラブから手に入れてきただけです。クラブがアウェイファンのためのスペアのチケットをいくらか持っていて、それを配布すると決めたということです。日本のファンの皆さんは、遠いところから飛行機で、相当なお金をかけて来てくださいました。そういった方々がスタジアムの中で試合を楽しむべきだと思いましたし、実際に観戦できたと聞いて私も非常に嬉しく思います」

 前述のエピソードが広まっていたからかフロンターレサポーターは、9日に行われたイースタンSCとの試合前に感謝のメッセージが書かれた横断幕を掲げたとのこと。良い話でした。


■2017/06/24 ドイツ一部で初の女性スカウトと初の女性主審 ヘレナ・コスタ元仏2部監督とビビアナ・シュタインハウス氏

 今年5月、2ブンデスリーガ1部の審判員として、リーグ初の女性主審となるビビアナ・シュタインハウスさんが登録されたことが発表されていました。
 そして、今度はブンデスリーガのクラブでは初の女性スカウトが誕生というニュース。

 1部のフランクフルトのスカウトに任命されたのは、ヘレナ・コスタさん。ポルトガル出身で、監督経験があります。
  2014年にフランス2部クレルモンの監督に就任し、フランスの男子プロクラブで初、また欧州主要リーグの2部以上のクラブで初の女性監督となっていました。ただ、その際はクラブとの衝突から、シーズン開幕を待たずして退任になっています。
 過去にはベンフィカの下部組織での指導や、女子のカタール代表、イラン代表の監督を務めた経験もあります。国際経験も豊富なようです。



2026年8月24日月曜日

実はGK王国?岐阜県出身のサッカー選手には下川健一・荻晃太・髙原寿康

■2021/07/05 実はGK王国?岐阜県出身のサッカー選手には下川健一・荻晃太・髙原寿康
■2021/10/02 強気でプロ向きとされた片桐淳至、最初から遅刻しまくりで謹慎



■2021/07/05 実はGK王国?岐阜県出身のサッカー選手には下川健一・荻晃太・髙原寿康

 Wikipediaで岐阜県出身のサッカー選手一覧をパッと見たら、他では少ないことが多いJリーグで出場経験が多いGKが多いのでは…?と思いました。一番実績があるのは、ジェフ市原で長く正GKを努めた下川健一。日本代表経験もあり、9試合に出場しています。
 他に目についてのは、荻晃太と髙原寿康。ともにJ1で出場経験があり、J2では長くレギュラーとして出場経験がある選手。そこまでたくさんいる!といった感じではないですし、豪華!というほどではないものの、選手数に比べると目立っている感じがしました。選手数が少ない上に交代出場が少なく固定されやすいポジションなので、珍しいと思います。

GK 下川健一 J222、JSL57 代表9 ジェフ市原など
GK 髙原寿康 J1 12 J2 161 札幌、町田など
 「ああ、いたいた!最初ヴェルディにいたよね!」と思ったら全く違いました。記憶力ザコ。高原としてはFWの方が有名なジュビロ入りしていました。「髙原寿康」と「高原直泰」ですから名前もかなり似ています。その後は札幌で一時期正GKに。札幌は地元なので試合見たはずですが、こっちも全然記憶にないですね~。マジで記憶力ザコ。試合出場としてはその後の町田が最も多く、J3の他昇格のJ2でも多く試合に出ていました。
GK 荻晃太(おぎ こうた) J1     75 J2     159 甲府など
 このページを作ったのは、この荻晃太のため。名前は記憶になかったのですが、2002年高校選手権の岐阜工業のメモが出てきました。準決勝の方だと思うのですが、高校選手権では「今日は非常に良い」とのメモ。たぶん天皇杯の水戸戦で大健闘した試合ではそれほど良いと思わなかった…という意味だと思われます。
 私のトータル評価としては「まずまず」という感想でしたが、神戸入りは当時すでに決まっており、その後、神戸で一時期レギュラーだった他、甲府で長く活躍。相変わらずの見る目のなさを発揮してしまいました。


■2021/10/02 強気でプロ向きとされた片桐淳至、最初から遅刻しまくりで謹慎

FW    片桐淳至 J1     34 J2     101
(2021/10/02) 高校総体のときのメモでは、「抜群のゴールセンス」「キープ力もものすごい」「CKもいいキック」「思い切りの良いシュートも」とベタ褒め。もう1人土屋も気に入った記憶あり、実際、土屋もすごいううまかったと書いているものの、「特に片桐」と書いていました。そんなに入れ込んでたっけな…記憶にありません。
 高校総体では得点王になっただけでなく、強気の発言は「プロ向き」とも言われていた記憶。Wikipediaによると、高校時代に全国高校サッカー選手権大会でインタビュアーの質問に対して「この大会は僕にとって就職活動の場」と発言していたとのこと。私の推した土屋はプロ入りできず、実際、差が出ました。
 しかし、片桐もプロ入りした名古屋グランパスではなかなか試合に出れず意外に苦労。Wikipediaによると、1年目から寝坊などで練習への遅刻を5回してしまい、度重なる規律違反に2年目にはクラブから謹慎処分を受けたことがあるなど、強気キャラが裏目に出た部分もあったようです。
 一方、FC岐阜時代は絶対的エースであり2008年にはチーム内得点王に輝いただけでなく、かつてとは異なるピッチ内外での規範的な態度でチームを引っ張るチームの顔でもあったそうです。

DF 岩田卓也(出身は愛知県で高校が岐阜工業) NZFC     66
(2021/10/02) 荻晃太のところに岐阜工業の同級生とあり、また良い選手を見逃したのか!とメモを見ましたが、準決勝も決勝も出ていなかった感じ。Wikipediaによると、浜松大学を経て、2006年にFC岐阜に入団。ただ、記録の記載がないので、出場がなかったのかもしれません。
 その後、オーストラリアに渡るなどしてサッカーを続け、ニュージーランドのリーグで66試合に出場。オークランド・シティで何度もFIFAクラブワールドカップに出場する…という、ある意味普通のプロ選手よりすごい経歴。昔は少なかった海外でサッカーする人、今はめちゃくちゃ増えましたね。

<その他の岐阜県出身のサッカー選手>
    三島頌平
    松波正信
    小井土正亮
    杉本太郎
    森山泰行
    益山司
    貝﨑佳祐
    加藤韻
    梅田高志
    中村豪
    津田知宏
    新川織部
    西脇良平
    後藤裕司
    小島弘已
    中島良輔
    冨成慎司
    沼田圭悟
    清本拓己
    山田元気
    山田大地
    佐藤和弘
    遠藤純輝
    青井健
    大澤一俊
    小原一展
    佐光塁
    曽我部巧
    土屋貴啓
    東明有美
    林俊介
    林隆太
    比嘉諒人
    細江敏矢
    松田英樹
    清本拓己
    志知孝明
    松井宏太
    澤藤広和
    髙橋優希
    池庭諒耶
    藤井智也