2023年6月1日木曜日

シンデレラボーイ布部陽功、ブラジルのアマチュアから逆輸入でプロに

■2021/01/26 シンデレラボーイ布部陽功、ブラジルのアマチュアから逆輸入でプロに



■2021/01/26 シンデレラボーイ布部陽功、ブラジルのアマチュアから逆輸入でプロに

 布部 陽功(ぬのべ たかのり)のWikipediaを読んでいて、そうだったっけ、忘れたな?と思ったのが、アマチュアからプロへとなるに至ったシンデレラストーリーの話です。まず、以下は大学までの話。プロ注目という選手ではなかったようですが、いきなり目覚めてブラジルに行っています。

<1989年北陽高校(引用者注:大阪市にある学校。現:関西大学北陽高校)サッカー部に入部。1年生から3年生までレギュラーとして全国大会に5回出場した。卒業後、1992年近畿大学サッカー部に入部。翌年の1993年大学2年時にプロになることを決意し、単身ブラジルに留学を決める>

 1994年ブラジルのアマチュアチーム(経歴では「ヒョーゴFC」との記載)に所属。このときは全然プロではありませんでした。ただ、このブラジルのアマチュアチームが大会で優勝して来日。ここで当時は超強豪だったヴェルディ川崎のコーチの目に留まったことが転機になります。本当、ドラマチックなものがありますね。

<来日し日本のチームと対戦した際に、ヴェルディのコーチに声をかけられ練習生としてチームに参加。当時ヴェルディ川崎の監督であったネルシーニョに発掘される。1995年全盛期のヴェルディ川崎に逆輸入選手として入団。シンデレラボーイと報道された。同年ゼロックススーパーカップでデビューし、同点ゴールを奪いプロ初ゴールを決める>

 ただし、ヴェルディ川崎にいたのは3年のみ。最後の1997年シーズン途中でジュビロ磐田にレンタル移籍しています。その後、ヴィッセル神戸に行っており、私はこのイメージが強かったのですが、こちらも4年のみでまた移籍。次のセレッソ大阪の5年の方が長いですね。ついでにいうと、FW、MF、DFとオールラウンドプレーヤーとして出場していたというのも忘れていましたわ。

 ちょこちょこ移籍していたとはいえ、J1     234試合出場は立派な戦績。多くのチームで主力となっていたことを示しています。あと、布部 陽功を見出したネルシーニョ監督と再会してまたともに戦うことになった…というのも、ドラマチックなものがありました。

<2006年アビスパ福岡に完全移籍。翌年の2007年からキャプテンとして2年間チームを牽引した。2009年指導者の道を選びアンバサダー兼コーチとして、アビスパ福岡に残りS級ライセンスを取得。同年8月、レイソルカップでアビスパ福岡U-14を引率した際、当時柏レイソルの監督であったネルシーニョと再会。
 翌年の2010年1月からネルシーニョのコーチとして柏レイソルに移る。2010年J2リーグ優勝、1年でJ1リーグに復帰。2011年Jリーグ初となるJ1昇格1年目でのJ1初優勝。2012年天皇杯優勝。2013年ナビスコカップ優勝。5年間ネルシーニョのコーチとしてチームに貢献した。
(中略)2019年シーズン、師と仰ぐネルシーニョを再度監督に招いてJ2優勝。1年でJ1復帰を達成する>