■2019/08/23 ダメだった親子サッカー選手 ジーコの息子は日本で2試合のみ
■2022/09/30 Jリーグなにそれ…?だったのが、開幕後は日本中で大ブームに
■2022/09/30 笑いを取る選手が多い番組の中、ジーコだけ空気読まずにクソ真面目
■2019/08/23 ダメだった親子サッカー選手 ジーコの息子は日本で2試合のみ
親子サッカー選手では、結構息子がダメダメってことありますね。Wikipediaのジュニオールの項目見ていたら、あのジーコの息子がジュニオールという名前でプロだったとわかりました。ただ、まるでダメだったようです。
Wikipediaの項目が短いので不明ですが、代表歴どころかユース代表経験もない模様。フルミネンセでプロ選手としてのキャリアをスタートさせたのですけど、父ジーコが創設したクラブCFZ・ド・リオに長く在籍。親の七光りな感じです。
2000年には、かつて父ジーコが在籍したセリエA・ウディネーゼ・カルチョの入団テストを受けたが、契約には至らず。その後はUSAのニューイングランド・レヴォリューション、2003年はJ2のサガン鳥栖へとそれぞれCFZ・ド・リオからの期限付き移籍で在籍ということで、日本にも来ています。しかし、J2です。
しかも、J2のサガン鳥栖では開幕の一週間前にようやく来日したものの、低調なパフォーマンスが続き6月に契約解除されたとのこと。「J2通算 2試合出場0得点」とのことで、まるでダメです。
引退後はCFZの社長を務めているということで、最後まで親の七光りな感じでした。
■2022/09/30 Jリーグなにそれ…?だったのが、開幕後は日本中で大ブームに
ジーコの話をどこかに追記…と思ってここに追記することにしたんですが、読み直してみるとあんまりいい話じゃなかったですね…。「でも、まあ、いいや」ということで、そのままここに書きます。
昔のビデオテープを整理していたら、Jリーグ A GOGO!!のスペシャルのときの映像が出てきました。タイトル見て民放のサッカー番組じゃなかったっけ?と思っていたのですが、司会を見てあれ?と。NHKの番組だったようです。
…と書いてからウィキペディア見たら、やっぱり民放でした。でも、司会は以下と全然違うんですよね。テープのメモが間違っていた可能性もありそう。飛ばし飛ばしで見ていますし、思い込みで見ていて、きちんと確認していませんでした。
<『Jリーグ A GOGO!!』(ジェイリーグ・ア・ゴーゴー)は、1993年4月から1996年9月までテレビ朝日で放送されていた生放送のサッカー関連の情報番組である>
<Jリーグ開幕直前の時期にスタート。番組は週末のJリーグの試合結果や海外のサッカー情報などを伝えていた。また、選手を生出演させてインタビューをする企画もあった>
<司会
うじきつよし(1993年4月 - 1994年9月) → 朝岡聡(当時テレビ朝日アナウンサー、1994年10月 - 1996年9月)
鈴木杏樹(1993年4月 - 1995年3月) → 山内木の実(1995年4月 - 1996年9月)>
https://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0_A_GOGO!!
ちなみにNHKのサッカー番組としては、「Jリーグタイム」が該当。NHK BS1で放送されているJリーグの試合結果の詳細を放送するダイジェスト番組です。ただし、放送開始は2006年4月から。前番組である『速報Jリーグ』も2001年から2005年シーズンの試合終了直後にNHK-BS1で放送されていた30分のダイジェスト番組です。
一方、私が見たのは、1993年のJリーグ開幕した年のもの。当時は2期制でチャンピオンシップがあり、2ndステージが終わって、チャンピオンシップの前でした。
<1993年のJリーグは、リーグ戦が5月15日に開幕、12月15日に日程を終了し、翌1994年1月9日、1月16日にチャンピオンシップを行った。リーグの優勝クラブはサントリーシリーズが鹿島アントラーズ、NICOSシリーズがヴェルディ川崎で、チャンピオンシップにより決定された年間総合優勝はV川崎である>
https://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E3%81%AEJ%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0
Jリーグ開幕でいきなり大ブームになり、日本で最もJリーグが盛り上がった年でした。番組内でも開幕前と開幕後の街頭インタビューの違いを放映。「Jリーグ?ちょっとわからないですね…」というのが、「知ってます!知ってます!」といった感じに変化。私もサッカーは全然だったのにいきなり夢中になりましたね。懐かしいです。
■2022/09/30 笑いを取る選手が多い番組の中、ジーコだけ空気読まずにクソ真面目
ジーコの話に行く前に長くなってしまったのですが、まだまだジーコの話に行けません。
このJリーグ A GOGO!!…だと思われる番組のスペシャルはいつもと全然違う内容で、ホテルの結婚式風の形式。当時10チームあったクラブ(ただし、フリューゲルスだけ遅刻。森敦彦とモネールともう1人は忘れました)から3人もしくは2人の選手が来ており、その他に、芸能人サポーターが1人ずつつくという豪華さでした。
この芸能人サポーターは、アイドルやきれい系の女性芸能人が結構いた感じですが、鹿島アントラーズはなぜか怪談家の稲川淳二さんで笑いました。番組では聞き取れなかったんですが、何かが鹿島の近くにあるという話をしていました。ウィキペディアを見ると、出身は東京都であり、茨城県ではありません。ただ、「東京都中野区に在住。自身の工房は茨城県にある」とのことで、それが縁みたいですね。
さて、肝心のジーコの話。番組やVTRでは笑いを取る選手が多い中、唯一クソ真面目で空気を読んでいなかったのがジーコだったんですよ。外国人選手だから…ということもなく、他の外国人選手ともノリが違う感じです。
ジーコは鹿島枠以外に、日本とブラジルの国交かなにかを記念してチャリティを行ったこきにも壇上に呼ばれて挨拶。内容がお固いものであったので当然と言えば当然なのですが、とにかくクソ真面目にコメントしていたのが、印象に残りました。
この場面の前に、フリューゲルスの前園真聖が担当だったと思うのですが、寮の案内VTRがあったときに、寮は汚いですよね…という話に。川淵三郎チェアマンは「むしろ寮がきれいだと落ち着かないですよね」と言っていたのですが、そのときに稲川淳二さんが「ジーコさんはそういうのはないです。きちんとします」みたいな話をしていました。
このときは冗談かな?と思っていたのですが、その後の上記のコメントなんか見ると、本当クソ真面目なのかも。スター選手って感じじゃないですね。
もともとジーコさんは鹿島アントラーズにプロ精神を植え付けた人と言われていました。それまでの日本のサッカーで遠征というと、「夜は現地の食事が楽しみ」みたいな感じがあったそう。それが楽しみでも別にいいじゃないと私は思うのですが、ジーコさんは「そうじゃない。プロなんだから遊びに行くんじゃない。サッカーするために行くんだ」といったことを教えたそうです。
番組で出ていた他のチームが笑いを取っていたように、自由な雰囲気が強いチームが多かった感じ。ただ、当時の鹿島はそうじゃなかったのかもしれません。こういうやり方が必ずしも良いとも思わないのですし、研究でも楽しむことの大切さが指摘されています。
ただ、2部相当だった鹿島アントラーズがいきなり最初のリーグ戦で優勝しており、結果を見ると大成功。初期のJリーグでは他にも世界的な選手がかなりいたので、有名選手加入だけでは説明できない結果。ジーコの教えが効果あったのかもしれません。