2024年10月31日木曜日
広島ユース黄金世代、高円宮杯出場メンバーから13人がJリーグ入り・プロ入り
■2016/11/9 広島ユース黄金世代、高円宮杯出場メンバーから13人がJリーグ入り・プロ入り
2004年10月の高円宮杯(U-18) サンフレッチェ広島1-0ジュビロ磐田のメモを見ながら、このサンフレッチェユースの優勝メンバーから何人プロ入りしたかな?と気になりました。
GK
佐藤昭大 広島 → (中略) → 鹿島 → 熊本
DF
槙野智章 広島 → ケルン → 浦和 【日本代表】
藤井大輔 新潟 → 草津 → 長崎 → 讃岐
大屋翼 関西大学 → 神戸 → (岡山) → 神戸 → 大宮
森脇良太 広島 → (愛媛) → 広島 → 浦和
ここまでパーフェクトですが、森山佳郎監督をして「同世代には絶対に破れない」と言わしめるほどの絶大な信頼を置かれていた藤井大輔選手が広島入りせずにストレートに新潟入りしていました。
たまにクラブユースから別のクラブに行くことはあるものの、こういう評価高い選手が行っちゃうってのは珍しいですね。ユースの監督とフロントで評価が異なったのかもしれません。
MF
柏木陽介 → 広島 → 浦和 【日本代表】
田中祐樹 → 桃山学院大学 → 日立笠戸 → 広島インターナショナル
https://www.facebook.com/786025071509723/photos/a.787397704705793.1073741828.786025071509723/850567465055483/?type=3&theater
生年月日:1986年4月28日 出身地:山口県とのこと。
初めてJリーグ入りしていないっぽい選手。決勝ではいいCK2本蹴っていたとメモしてありました。
木原正和 阪南大学 → 大宮 → 福岡 → カンボジア・リーグのトライアジア プノンペンFC
メモにはありませんでしたが、当時2年生だったみたいですね。右から突破しての良いセンタリングが印象だった選手。上記のようにストレートにプロ入りはせずに大学を経てJリーグへ。
その後はカンボジアに行っていますが、何と"2015年、経営危機に陥っているプノンペンFCの存続を条件として、選手兼任監督に就任"という珍しいことに。当時は28歳か29歳ですから結構若いです。
FW
桒田慎一朗(桑田慎一朗) 広島 → 岡山 → タイ・ディヴィジョン1リーグ(2部)のナコーンラーチャシーマーFC
感想メモしていなかった選手ですがストレートで昇格。
平繁龍一 広島 → (中略) → ザスパクサツ群馬 → 熊本
チャンスで外したりとさっぱり良いと思わなかった選手。U-19とメモしていましたが、当時1年生だったんですね。すごい選手でした。相変わらず見る目ないです。
前田俊介 広島 → 大分 → (中略) → 札幌 → 鳥取
各大会で得点王で、(高円宮杯でも?)3大会連続得点王。ユース代表で見ていた選手なので、知っていました。ところが、代表では全然良さがわからず、なぜみんなベタ褒めなのだろうと不思議だった選手。
この日はすごく強引で個人技で抜いていく場面が目立ちました。テクニックはしっかりしています。この試合は代表よりも良さがわかったものの、やっぱり私はイマイチお気に入りにならず。
スタメンは11人10人がJリーグ入り。恐ろしいですね。
以上がスタメンだったものの、U-19の高柳選手は前日10時帰国でベンチスタート。後半登場でした。本当豪華だった広島ユース黄金世代です。
高柳選手もまあ正直好きではないのですが、この日は一番良いと思った選手。球際強いですし、ここでは身体能力も抜けていました。
MF
高柳一誠 広島 → 札幌 → 神戸 → 熊本
あと、メモしていなかったものの、他にも途中出場でプロ入りの選手が。どんだけいるのよ? 遊佐克美選手は当時1年生ですね。
遊佐克美 広島 → 金沢 → (中略) → インドのノースイースト・ユナイテッド
冨成選手は3年生。
冨成慎司 福岡大学 → 岐阜 → 藤枝MYFC → 鹿児島ユナイテッドFC
高柳ともう一人高何とかって良い選手いたじゃん!と検索したら、高萩でした。当時から有名だったので、怪我だったのかも…ああ、違った。「クラブ史上初のプロの高校生Jリーガー」ということで、それが理由かも。
高萩洋次郎 広島 → 愛媛 → 広島 → オーストラリア・ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC → 韓国・FCソウル 【日本代表】
以上。すごいですね。ここらへんだけで14人がJリーグ・プロ入りしています。
2024年10月29日火曜日
FIFA最優秀監督、CLなど5冠フリックが謎の落選でクロップになって波紋
■2020/12/21 FIFA最優秀監督、CLなど5冠フリックが謎の落選でクロップになって波紋
FIFA(国際サッカー連盟)は年間表彰式『ザ・ベスト・FIFAフットボールアウォーズ2020』を開催し、年間最優秀監督賞にリヴァプールを30年ぶり戴冠へと導いたユルゲン・クロップ監督を選出。現在トッテナムの監督であるモウリーニョさんはこれに「(引用者注:バイエルン監督のハンジ・フ)フリックが戴冠するものと思っていたがね。彼が勝つ唯一のチャンスは、バイエルンはあと2~3の新たなコンペティションを見つけて、それに勝つことだと思う」と皮肉を言っていました。(モウリーニョ、クロップのFIFA最優秀監督賞に皮肉「フリックは2~3の新大会を見つけるしかない」 | Goal.comより)
モウリーニョ監督は口が悪いので、本来でしたらいちいち気にしてはいられません。ただ、今回の受賞は確かに不可解。というのも、バイエルンのハンジ・フリック監督は国内2冠、国内外スーパーカップ2冠、チャンピオンズリーグ王者となっていたため。国内タイトルだけでなく、最高峰のCL王者となりながら受賞できないというのは、かなり不可解で不自然でした。
ここらへんを疑う声は、3冠達成もFIFA最優秀監督賞を逃したフリック「少し失望した…でも人生は続いていく」(GOAL)のコメント一覧 - Yahoo!ニュースでも出ていました。私は本来、陰謀論的なことは支持しないものの、今回の選出はおかしすぎ。弱小クラブでのプレミア制覇ならそちらを優先評価するのはまだ少しは理解できたのですが、リヴァプールの場合はそうでもありませんしね…。
<リヴァプールもしくはクロップ贔屓としか思えないわ(中略)最低だね、腐りきってるよ>
<フリックが選ばれない謎だよな>
<取れるタイトルは全部取ったのにこれ以上どうすりゃいいんだよって感じだろうなフリックからすれば>
<プレミア制覇が最優秀監督なら今までどれだけの人が受賞できたんだよ>
2024年10月27日日曜日
日本にはかつてFCニッポンというクラブが存在…日本代表って意味?
■2020/11/16 日本にはかつてFCニッポンというクラブが存在…日本代表って意味?
「FCニッポン」というクラブがあったと、知ってびっくり。これは「日本代表」という意味ではありません。東京ヴェルディ1969 - Wikipediaを見ていて、知った話なんですよ。つまり、ヴェルディがFCニッポンと名乗っいた時代があったのです。マスコミでもそういう表記はなかったんですけどね。Wikipediaによると、チーム名(正式名称)は、Jリーグ加盟から1999年1月31日までは「読売日本サッカークラブ」、同年2月1日より2009年10月20日までは「FCニッポン」、2009年10月21日以降は現名称の「東京ヴェルディ1969」だといいます。「読売日本サッカークラブ」の「日本」が残った形ですかね。
ただ、1クラブが「FCニッポン」と名乗るというのは、問題を感じるもの。おこがましい…図々しくでしゃばっている感じもあります。ちなみにかつての読売クラブには「日本代表に選ばれるより読売でレギュラーを取る方が難しい」とも言われた、すごすぎる黄金期がありました。ただ、前述の通り、1999~2009年に名乗っていた名前であり、全然強くなかった時代。最後の優勝は1994年というはるか昔。しかも、FCニッポン時代の最高成績は名乗りだした1999年の7位というひどさ。2006年にはJ2に降格。最高7位、二桁常連、J2降格のくせして、「FCニッポン」とは、マジで図々しいです。
なお、「FCニッポン」時代に実際に言われていた呼称は、その前の「読売日本サッカークラブ」と変わらず、「ヴェルディ川崎」でした。ヴェルディは絶えず、ホームタウンを川崎から東京へ移すという話も出ていたところですから、川崎愛のなさも感じる話ですね。ヴェルディは日本最高のクラブとしてJリーグに参加し、全国的な知名度も高かったにも関わらず、サポーター愛の弱いクラブとしても有名だったことも思い出します。本拠地である地元川崎への愛がなかったせいかもしれません。
2024年10月26日土曜日
アルビレックス新潟シンガポールは成功しているのか?
■2020/11/14 シンガポールでプレーする「アルビレックス新潟シンガポール」
■2020/11/14 アルビレックス新潟シンガポールは成功しているのか?
■2020/11/14
シンガポールでプレーする「アルビレックス新潟シンガポール」
作られたときにおもしろいな!と思っていた「アルビレックス新潟シンガポール」。今頃ですが、Wikipediaを読んでみました。2004年からシンガポールプレミアリーグ(旧称:Sリーグ)に参加しているということで、もうかなり昔からですね。
そもそもどういった目的なのか?と言うと、チームの目的として、同国でのサッカーのレベルアップへの貢献と、選手の国際経験の充実化を図ることを目指している、との説明。第一にシンガポールのサッカーへの貢献を謳っているようです。ただ、私は若手の育成がメインだと思っていました。こちらも「選手の国際経験の充実化」というひねった書き方をしていますね。
Wikipediaによると、選手は日本でスカウト・採用された選手と、アルビレックス新潟のスポンサーの1社であるNSGグループが運営する「JAPANサッカーカレッジ」(JSC)の在学者や卒業生から選抜されたメンバーが主体となったとのこと。この説明は「最初は…」という意味ですかね。この説明の後、「アルビレックス新潟や、それ以外のJリーグチームから若手の育成先として選手の派遣を受け入れつつ、Jリーグクラブを契約満了となった若手選手、前述のJSCの履歴を持つ選手などで構成される」と続いています。
おもしろいのは、選手だけでなく若手の指導者をチーム首脳に登用したり、Jリーグのベテラン選手をコーチ兼任で派遣または現地採用するなど、選手育成だけでなく指導者の育成も行っているということ。こちらは若手の育成だけでなく、シンガポールサッカーへの貢献という目的に合う活動もしているんですね。
■2020/11/14 アルビレックス新潟シンガポールは成功しているのか?
ズバリ「アルビレックス新潟シンガポール」は成功しているのか?というのが気になっていたのですが、Wikipediaでは成功していると思わせる書き方をしている部分があります。これは、Jリーグで活躍している人を輩出…といったものではなく、「選手の国際経験の充実化」と掲げていた目的に合うものです。きれいごと言っているだけじゃなく、ちゃんと目標に沿ってやっているみたいですね。
<近年はアルビレックス新潟シンガポールから移籍後に東南アジアを中心で活躍する選手たちを次々と輩出しており、2010年11月のポルトガル2部リーグのCFベレネンセスとのパートナーシップ契約締結や、アジア諸国の代理人とのコンタクトを密にすることで、戦略的に海外で活躍する日本人選手を生み続けようとしている>
また、当初はアルビレックス新潟からの財政援助を受けてきたのですが、現在は単体で黒字を確保しているとのことで、ビジネス的にも成功。私はこういった面も重視します。
なお、2016年、シンガポールで史上初となる四冠を達成し、翌年も四冠を達成するなど、チームとしても活躍。ここらへんはシンガポール側としてはどうなんですかね? その後は、レギュレーションが改定されるなどしています。この改定により、シンガポール人選手を登録が可能となって、シンガポール人下部組織を作るなどしており、シンガポール側には良さげな方向性。シンガポールのサッカーへの貢献というお題目の方も、結果的には、かなりしっかりやられることになっていそうでした。
2024年10月24日木曜日
やたら多い広島ユース優勝組の浦和入り 森脇良太、柏木陽介、槙野智章
■2016/11/4 広島ユース時代全く良さを見抜けなかった将来の日本代表・槙野智章
■2016/11/4 やたら多い広島ユース優勝組の浦和入り 森脇良太、柏木陽介、槙野智章
■2016/11/4 広島ユース時代全く良さを見抜けなかった将来の日本代表・槙野智章
2004年10月の高円宮杯(U-18) サンフレッチェ広島1-0ジュビロ磐田のメモより。
注目選手とも紹介されていなくって全く感想もなかったのですが、メンバー見ていてあれ、槙野って日本代表の槙野じゃね?と気付きました。全く良さを見抜けませんでしたわ。まあ、しょっちゅうですから良いんですけど。
当時は2年生だったみたいですね。
-----引用 ここから-----
槙野 智章(まきの ともあき、1987年5月11日 - )は、広島県広島市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズ所属。ポジションはディフェンダー。広島県立吉田高等学校卒業。日本代表。(中略)
2003年にユースチームに昇格。ユース時代からの同期には柏木陽介、木原正和、福本尚純がいる。2年次からセンターバックとしてレギュラーを獲得し、ユースレベルでの3大大会の全てで決勝に進出し2冠達成に貢献した。一学年上の藤井大輔と組んだセンターバックは森山佳郎監督から「同世代には絶対に破れない」と賞賛された。3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%99%E9%87%8E%E6%99%BA%E7%AB%A0
-----引用 ここまで-----
ほとんど最近試合を見ておらず、代表招集で名前があるのを覚えていたというだけで、一度も試合を見たことがありません。今は浦和なんですね。
私はサイドバックもこなせると聞いていたので、そのイメージでした。
ただ、"ミハイロ・ペトロヴィッチ曰く「DFらしいDF」。コーチングに優れ、高い身体能力と闘争心を持ち、1対1の局面での強さに定評がある"といった評価。
サイドという記述もWikipediaにはほとんどなく、プロ入り前の以下が1つ。
-----引用 ここから-----
2000年にサンフレッチェ広島ジュニアユースに入団。同期には森重真人、左山晋平などがいる。当初はFWのポジションでプレーし、森重や平繁龍一と2トップを組んでいたが、トップ下、サイド、ボランチなど様々なポジションを経て、中学3年次にコーチの月岡利明によりセンターバックにコンバートされた[2]。
-----引用 ここまで-----
もう一つは以下。
-----引用 ここから-----
2010年12月、ドイツへ渡り、ボルシア・ドルトムントとホッフェンハイムの練習に参加。独誌キッカーからは「1対1の弱さがあり、右サイドバック向き。獲得は現実的ではない」と評され、契約には至らず、日本へ帰国。しかし、2010年12月30日、当時ケルンのスポーツディレクターを務めていたフォルカー・フィンケの誘いでドイツ・ブンデスリーガの1.FCケルンへ完全移籍加入することで合意したと発表された[8][9]。契約期間は2013年6月30日まで。代理人は長谷部誠、香川真司らと同じトーマス・クロート。
-----引用 ここまで-----
身長は182cmで、これは背の低い日本人選手としては大柄な部類です。ただ、ヨーロッパ、特にドイツとなると見劣りするでしょうね。で、出場機会に恵まれず、浦和入りってことみたいでした。
センターバックの日本人選手のトップリーグでの活躍は、なかなか難しそうです。
■2016/11/4 やたら多い広島ユース優勝組の浦和入り 森脇良太、柏木陽介、槙野智章
2004年10月の高円宮杯(U-18) サンフレッチェ広島1-0ジュビロ磐田のメモより。
森脇 良太は右サイドバックで登場。トップ入りが決まっていて、攻撃な得意な選手という紹介。ただ、その得意とされる攻め上がりはあまり目立たず。メモでは「体格ではこの中では上。身体的に上」とあった。Wikipediaのプロフィールを見ると、177cm。高校クラスならそうだろうなという数字ですね。
-----引用 ここから-----
森脇 良太(もりわき りょうた、1986年4月6日 - )は、日本のプロサッカー選手。広島県福山市幕山台出身。Jリーグの浦和レッドダイヤモンズ所属。ポジションはディフェンダー。広島県立吉田高等学校卒業。元日本代表。
生年月日 1986年4月6日(30歳)
出身地 広島県福山市
身長 177cm
体重 75kg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%84%87%E8%89%AF%E5%A4%AA
-----引用 ここまで-----
海外リーグじゃなくて日本でもCBならちょっと小さいくらいの感じだと思ったら、プロ入り後にCBに転向したそうな。
-----引用 ここから-----
強引な突破とシュートが特徴の右アウトサイド。本職はサイドバックだが、ミハイロ・ペトロヴィッチは攻撃参加や楔のパスを評価し[1] 広島ではセンターバックとしてプレーする[2][3]。
-----引用 ここまで-----
エピソードでは以下が印象的。
-----引用 ここから-----
2014年3月15日Jリーグ第3節サンフレッチェ広島戦で交代後ロスタイムに原口元気の追加点が決まると、ゴールを決めた原口元気、槙野智章とゴールパフォーマンスに参加。ところがベンチに戻ろうとした際ピッチに入ってしまい、これがサッカー競技規則第12条ファウルと不正行為に抵触し、すでにイエローカードを受けていたためレッドカードで退場となり、交代選手が退場になる珍事が起きた。しかしルールを把握しておらず、この判定に激高し主審に詰め寄ろうとしてしまうが、いち早く気付いたピッチサイドリポーターを務めていた朝井夏海がなだめロッカールームに戻った。興奮が収まらなかったが、チームスタッフがルールを教え、ここでようやく自分の犯したミスに気がついた。
-----引用 ここまで-----
Wikipediaでは説明がないものの、この後浦和入りしています。今回広島ユースのメンバーを見ていて思ったのですが、このときのユースメンバーの浦和入り多くないです? 同じ優勝メンバーの柏木陽介や槙野智章も浦和入りしています。スタメンの中で3人が浦和入り。プロ入り選手に限るとさらに確率が上がりそうです。うーん、このことは広島ファンはどう思っているんでしょうね?
2024年10月22日火曜日
サッカー・コートジボワール代表はドログバのチーム 好きなのはジェルビーニョ
■2023/05/16 コートジボワール好きな選手ベスト11 ジェルビーニョ、コロ・トゥーレ、ヤヤ・トゥーレなど
■2014/7/5:コートジボワール代表ドログバ、アフリカ最高のフォワード
■2014/7/5:コートジボワール代表ボランチ、ヤヤ・トゥーレ 兄弟2人もサッカー選手
■2014/7/5:ジェルビーニョがコートジボワール代表で一番好き ボールタッチが好み
■2014/7/5:日本戦で活躍したセルジュ・オーリエ、ウィルフリード・ボニーなど
■2014/7/5:サッカー・コートジボワール代表はドログバのチーム
ワールドカップ2014 日本VSコートジボワール のときのメモです。ワールドカップ2014で日本と対戦したコートジボワール。アフリカ最強のチームなどと言われていましたが、選手が誰も浮かびませんでした。メンバー見て何となく思い出したものの、あまり好きな選手のいないチーム…と思っていたら、いました、いました!
6月15日(日) グループC コートジボワール 2-1 日本
0(前半)1
2(後半)0
本田 圭佑(前半16分)
ウィルフリード ボニー(後半19分)
ジェルビーニョ(後半21分)
コートジボワール
GK 1 ブバカル バリー
RSB 17 セルジュ オーリエ
RCB 5 ディディエ ゾコラ
LCB 22 スレイマヌ バンバ
LSB 3 アルトゥール ボカ 後半30分
RDH 9 イスマエル ティオテ
LDH 20 セレイ ディエ 後半17分
OH 19 ヤヤ トゥレ
RSH 10 ジェルビーニョ
LSH 8 サロモン カルー
FW 12 ウィルフリード ボニー 後半33分
交代
FW 11 ディディエ ドログバ 後半17分
DF 18 コンスタン ジャクパ 後半30分
MF 13 ヤ コナン 後半33分
グループC第1節 コートジボワール vs. 日本 - 試合詳細 - ブラジルワールドカップ特集 - スポーツナビ
<a href="http://brazil2014.yahoo.co.jp/game/result/?gid=2014061403" target="_blank">http://brazil2014.yahoo.co.jp/game/result/?gid=2014061403</a>
ポジションはテレビから。
特に覚えていませんでしたが、ドログバなどを見て思い出します。カルーはプレミアリーグかどこかでも見ましたし、ヤヤ・トゥーレは結構好きな選手。兄弟のコロ・トゥーレはもっと好きだった気がしますが、今回はいません。
それより何より一番好きだったのがジェルビーニョ。画面が小さくて紹介じゃ名前がよく見えなかったんですが、あっ、このブラジル系の名前の選手好きだったはず!と思いました。ボールタッチがすごく好みです。
前半はヤヤ・トゥーレが中心なのかなぁ?という感じでしたが、うまく周囲と合わず力を出し切れていない印象。後半になると、ドログバが出てきてチームが一変。ドログバを止められると打つ手なしなんて言われていましたが、やはりドログバのチームですね。すごい選手ですわ。
■2023/05/16 コートジボワール好きな選手ベスト11 ジェルビーニョ、コロ・トゥーレ、ヤヤ・トゥーレなど
コートジボワールは好きでもない…と書いていたときもあったものの、見返してみるとかなり好きなチームの一つといった感じで好きな選手がかなりいます。特にジェルビーニョはアフリカベスト11クラスで大好き。ただ、全盛期が終わり、今後はなかなか苦しいかもしれません。
ドログバ
カルー ジェルビーニョ
ヤヤトゥレ
ディエ ティオテ
ボカ オーリエ
バンバ コロトゥレ
バリー
GK ブバカル バリー 1 34歳(2014年ワールドカップ) 1979/12/30 180cm
RSB セルジュ オーリエ 2 21歳(2014年ワールドカップ) 1992/12/24 174cm
日本戦で2本クロスからアシストしていた選手。
CB、RSB コロ・トゥーレ 8 29歳(2010年ワールドカップ) 1981/3/19 183cm
LCB スレイマヌ バンバ 1 29歳(2014年ワールドカップ) 1985/1/13 190cm
LSB アルトゥール ボカ 1 31歳(2014年ワールドカップ) 1983/4/2 166cm
RDH シェイク・イスマエル・ティオテ 1 28歳(2014年ワールドカップ) 1986/6/21 180cm
LDH セレイ ディエ 2 29歳(2014年ワールドカップ) 1984/11/7 179cm
前半カウンターでドリブル。良い位置でフリーキックを貰っていた選手。
CH、OH、CB ヤヤ・トゥレ(トゥーレ) 7 歳(2010年ワールドカップ) 1983/5/13 191cm
RSH ジェルビーニョ(ジェルヴィーニョ) 9 23歳(2010年ワールドカップ) 1987年5月27日 179cm
ミスプレーも多いんですけど、ボールタッチが好き。私は攻撃なら結構ミス多い選手も好きですね。どんどんと仕掛けていて楽しい選手です。
LSH サロモン カルー 1 28歳(2014年ワールドカップ) 1985年8月5日 186cm
FW ディディエ ドログバ 2 36歳(2014年ワールドカップ) 1978/3/11 189cm
ドログバが入ってがらっと流れが変わります。やはりドログバのチーム。低い位置でもドログバが持つと取られないですので、チームも楽。安心感、安定感が出てきました。
競り合いも強く、長いボールでも収めたり、味方に出したりできるので非常に助かるプレイヤー。逆にドログバを止められると打つ手が無いと言われていましたが、当面ドログバ頼りからは抜けられなそうです。良い選手だなぁ。
■2014/7/5:コートジボワール代表ドログバ、アフリカ最高のフォワード
好きか?っていうと別に全然好きではないんですが、ドログバは本当すごい選手ですね。アフリカ最高のフォワードと言われるのもわかります。
前半はちょっとピリッとしなかったコートジボワール。もう少ししっかりしていれば数点入っただろうなというゲームでしたが、うまいこと行きません。アフリカのチームはムラッ気あるしなぁと思います。
FW 11 ディディエ ドログバ 後半17分IN
しかし、ドログバが入ってがらっと流れが変わります。やはりドログバのチーム。低い位置でもドログバが持つと取られないですので、チームも楽。安心感、安定感が出てきました。
競り合いも強く、長いボールでも収めたり、味方に出したりできるので非常に助かるプレイヤー。逆にドログバを止められると打つ手が無いと言われていましたが、当面ドログバ頼りからは抜けられなそうです。良い選手だなぁ。
交代で入ってすぐ右サイドドリブルで入っていてヒール。チャンスに。この入り方がまた良かったんですね。
日本が戻れず中央で4VS4の場面。よりによってドログバのマークを外しちゃいましたが、DFに当たってCKで済みました。
生年月日 1978年3月11日
身長 189cm
体重 91kg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%90
コートジボワールってどんなチームだっけ?とわからなかったんですが、ドログバと聞いて何となく「あー」と。でも、もうすごい年齢じゃない?今回はもういないと思っていた…と感じたので、確かめてみると36歳の大ベテラン。これで代表のFWでレギュラー(本当はレギュラーだったんですよね、たぶん)、しかも、チームの中でもずば抜けたパフォーマンスってのはすごいですね。
古い選手で私も見たことはないんですが、アフリカではロジェ・ミラというカメルーンの伝説のFWがいました。彼が大活躍した1990年イタリアW杯ではたぶん38歳。アフリカはすごいFWを輩出しますね。
■2014/7/5:コートジボワール代表ボランチ、ヤヤ・トゥーレ 兄弟2人もサッカー選手
ワールドカップ2014で日本と対戦したコートジボワール。コートジボワールって誰いたっけ?と思いましたが、ヤヤ・トゥーレはバルセロナ時代に結構好きでした。
OH 19 ヤヤ トゥレ
DHが本職だと思っていましたが、今回は一つ高い位置。今シーズンはマンチェスター・シティでも大活躍したそうな。チームでも前半は中心といった感じでした。
でも、病み上がりみたいなことを言っていましたね。本人の試合勘やコンディション以上に、解説の岡田武史さんは周囲の動きが一つ遅いのでは?という指摘。中心となっているものの、今日は大きな活躍はできませんでした。後半も途中出場のドログバに持って行かれた感じ。
兄弟のセンターバックのコロ・トゥーレの方がどちらかと言うと好きだった気がしましたが、今回は出ていません。ヤヤ・トゥーレもセンターバックできると私は思っていました。メンバーの欠員や途中交代によってバルセロナ時代はセンターバックもやり、パフォーマンスも良かった覚えがあるためです。
しかし、Wikipediaを見ると飽くまでポジションは中盤。こなせるものの、頻繁ではないってことみたいですね。
コロ・トゥーレの他にイブラヒム・トゥーレという兄弟もいたそうです。ワールドカップ期間中に亡くなってしまい、トゥーレ兄弟がブラジルを後にする…というニュースで初めて知りました。
ただ、今になってニュースを探してみると、違ったみたいです。
-----引用 ここから-----
トゥーレ兄弟、弟の悲報にもチームに残留 - Goal.com 2014/06/22 3:27:00
弟の死という悲しい知らせを受け取ったコートジボワール代表のDFコロ・トゥーレとMFヤヤ・トゥーレの兄弟だが、ワールドカップ(W杯)決勝トーナメント進出が懸かるギリシャ戦に向け、チームにとどまることを決断したようだ。イギリス『BBC』や『ESPN』などが伝えている。(略)
この訃報を受けて、コロとヤヤの両選手が、代表チームを離脱するとも伝えられていた。だが、『BBC』などによると、コートジボワール代表のスポークスマンは、「彼らはチームにとどまることを決めた。ブラジルを離れない」と話したそうだ。
http://www.goal.com/jp/news/5256/2014%E5%B9%B4w%E6%9D%AF/2014/06/22/4902124/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AC%E5%85%84%E5%BC%9F%E5%BC%9F%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%A0%B1%E3%81%AB%E3%82%82%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E6%AE%8B%E7%95%99
-----引用 ここまで-----
トゥーレ兄弟にとっては、たいへんな大会になってしまいました。
■2014/7/5:ジェルビーニョがコートジボワール代表で一番好き ボールタッチが好み
ワールドカップ2014で日本と対戦したコートジボワール。あまり好きな選手のいないチーム…と思っていたら、大好きな選手がいましたわ。ジェルビーニョです。
確かボールタッチがすごく好みだったはずと思って見てみると、やはりそういうタイプでした。いるんですよね、ボールタッチ見ているだけで幸せになれる選手って。
4年前にもブラジル人っぽい名前だと思っていたものの、特に調べず。ブラジルからアフリカへの帰化というパターンなら珍しいなと思っていたんですが、違いました。あだ名みたいです。
Wikipediaはジェルヴィーニョ(Gervinho)と表記。本名はジェルヴェ・ヤオ・クアッシ(Gervais Yao Kouassi)。 ロウナドがロナウジーニョという要領ですね。「かわいい」という意味で「~ちゃん」という感じの愛称。1987年5月27日生まれ、 179cm、80kg。
Wikipediaによれば、普通にコートジボワール・アニャマ出身であるものの、コートジボワールの都市アビジャンを本拠地とする"ASECミモザの下部組織に5年間所属し、ブラジル人監督からポルトガル語のジェルヴィーニョというニックネームを授かった"そうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7
RSH 10 ジェルビーニョ
この日見ていてもやはりうまいという選手。ミスプレーも多いんですけど、ボールタッチが好き。私は攻撃なら結構ミス多い選手も好きですね。彼は4年前もこんな感じだったと思いますが、どんどんと仕掛けていて楽しかった記憶があります。
右という紹介でしたが、左利きですし左右は流れの中でカルーと変わりながら。4年前よりは無茶な仕掛けは減ったかな?
後半中央で完全にマークが外れました。足のプレーではなく、ヘッドで得点。
■2014/7/5:日本戦で活躍したセルジュ・オーリエ、ウィルフリード・ボニーなど
RSB 17 セルジュ オーリエ
日本の悪い奪われ方が多かったところ。右の守備の枚数足りない中で、距離も詰められなかったので、落ち着いてクロス。ゴールが決まったのでアシストを記録。
直後にまた右からのクロスで2点目もアシスト。
何となく聞いたことありそうな名前と思いましたが、初見でしたね。Wikipedia見ると若い選手でした。
生年月日 1992年12月24日(21歳)
身長 174cm
体重 76kg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A8
フランスのRCランスでキャリアをスタートさせて、現在もトゥールーズFCに所属。フランスとの二重国籍です。
LDH 20 セレイ ディエ 後半17分OUT
ワンプレー記憶に残っただけで、ほとんどメモなし。Wikipediaもまだありませんでした。
前半カウンターでドリブル。良い位置でフリーキックを貰った場面が心に残ったくらい。よく覚えていませんけど、今後のためにメモ。
FW 12 ウィルフリード ボニー 後半33分OUT
後半右からのクロスで森重のマークをうまく外して、同点ゴール。得点取ったのもそうですし、マークを外せたのも良かったです。
ただ、他のプレーでは特に印象に残らず。
Wikipediaはありました。
生年月日 1988年12月10日
身長 182cm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8B%E3%83%BC
現在はプレミアリーグのスウォンジ・シティAFCというところでプレーだそうな。初めて聞いたクラブ。ここで活躍したようです。
2024年10月20日日曜日
マンチェスター・ユナイテッドのパクリクラブが6部所属…FCユナイテッド・オブ・マンチェスターという名前
■2020/12/03 マルコム・グレーザー一家が買収、経営失敗でマンUの財政悪化…
■2020/12/03 マンチェスター・ユナイテッドのパクリクラブが6部所属…FCユナイテッド・オブ・マンチェスターという名前
マンチェスター・ユナイテッドFC - Wikipediaを見ていて、パクリみたいなクラブがあると知ってびっくり。ただ、むしろマンチェスター・ユナイテッドの熱心なサポーターが関わった真面目そうなものみたいなんですよ。アメリカ・NFLのタンパベイ・バッカニアーズのオーナーであるマルコム・グレーザーさんによって買収されたとき、グレーザーさんによるクラブ支配に反対するサポーターの一部が、クラブの負債が3億2,000万ポンドに達していることを懸念し、新クラブFCユナイテッド・オブ・マンチェスターを結成したと書かれていました。
FCユナイテッド・オブ・マンチェスター - Wikipediaという単独のページも存在。ここらへんの経緯がこっちだともっと詳しいかと思って読んでみたのですが、期待に反して全然。むしろこっちの方が説明がありません。ただ、「2005年にマンチェスター・ユナイテッドFCから独立」という記述があります。これだとサポーターが勝手に作ったのではなく、正式に分離したということみたいですね。本当なんでしょうか。また、2015-2016シーズンはカンファレンス・ノース(6部相当)に所属しているという情報もありました。過去の成績を見ると、結成から3年連続で降格した後は7部で停滞し、2014-2015シーズンに1位となって6部に上がった…というところでした。それ以降のデータはありません。
■2020/12/03 マルコム・グレーザー一家が買収、経営失敗でマンUの財政悪化…
情報が少ないので、嫌われていたというマルコム・グレーザー - Wikipediaも見てみました。アメリカの実業家でユダヤ人みたいですね。父の宝石販売業を継いだ後、1970年代になりフロリダを中心に複数のトレーラーパークを所有する事業を皮切りに事業を拡大させ、食品加工、船舶用品、ヘルスケア、不動産、資源探査、放送業など様々な事業を行う企業の最高経営責任者になっていました。
マルコム・グレーザーの話については、結果的にはここが一番詳しかったです。マンチェスターユナイテッドについても以下のような話がありました。
<2003年から2005年にかけて、グレーザーは英プレミアリーグ・マンチェスター・ユナイテッドFCの株式買収を徐々に進め、約14億7000万ドルで支配権を獲得した。しかし、クラブ買収資金の大半はクラブ資産を担保に入れて高利息の借金をしたものであり、そこへ金融危機(サブプライム住宅ローン危機)で資金繰りが悪化した結果、買収前に財政状況が優良であったマンチェスター・ユナイテッドFCは一転、多額の負債を抱えるクラブとなった。
そのため、グレーザー一家によるクラブ支配に反対する声は多く、マンチェスター・ユナイテッドFCの買戻し運動、別チーム(FCユナイテッド・オブ・マンチェスター)の独立、マンチェスター・ユナイテッドFC設立当時のチームカラーである緑と黄色のマフラーを身につけて観戦するなど、多くの反グレーザー運動が引き起こされている>
グレーザーさん自身は、別チームFCユナイテッド・オブ・マンチェスターの独立した翌年である2006年、脳卒中に見舞われています。ただし、亡くなった(86歳でした)のは、2014年5月28日であり、そこまではオーナーであった感じ。また、「グレーザー一家によるクラブ支配」とあったので、オーナー1人の問題でもなかったようですね。実際、マンチェスター・ユナイテッドのWikipediaの方でも代表者は、ヴラム・グレーザーとなっており、「グレーザー一家によるクラブ支配」は続いているようでした。
2024年10月19日土曜日
Jリーグクラブ1位川崎フロンターレでも世界評価は150位程度
■2016/1/17 Jリーグクラブ1位川崎フロンターレでも世界評価は150位程度
国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)が採点し発表するクラブランキングは、毎年1月に前年の成績を採点して発表されるものとのこと。ということで、かなりゆっくりとしたランキングですが、全世界で格付けしたものとしては一番良さそうなものです。2015年のベスト10は以下のとおりでした。
1位 レアル・マドリード
2位 バイエルン・ミュンヘン
3位 アトレティコ・マドリード
4位 バルセロナ
5位 アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)
6位 ユヴェントス
7位 アーセナル
7位 ナポリ(イタリア)
9位 リバープレート
9位 レッドブル・ザルツブルク(オーストリア)
(サンフレッチェは世界何位?クラブランキングで見るJの実力|SPORTS セカンド・オピニオン|ダイヤモンド・オンライン 相沢光一 [スポーツライター] 【第376回】 2015年12月15日 )より
http://diamond.jp/articles/-/83231?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor
南米は、5位 アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)と9位 リバープレートだけ。また、ヨーロッパであっても、「9位 レッドブル・ザルツブルク(オーストリア)」も変わっていますね。そして、気になる日本のトップクラブは、150~200位くらいといったところです。
<157位に川崎フロンターレ、175位にサンフレッチェ広島、182位にガンバ大阪、204位に横浜Fマリノス。現在、世界で最も高く評価されているクラブは川崎。昨年のACLでベスト16に入ったのが効いたのか。ともあれ世界的に見れば日本のトップクラブの位置づけは100位台といったところになるのだろう>
これは低評価と見るか、高評価と見るか。どうでしょうね。記事執筆当時の国別のFIFAランキングは53位だったそうですから、それから見たらかなり高いのではないかな?と、個人的には思います。
2024年10月12日土曜日
ボールじゃなくて鶏をキックで蹴り殺して退場処分に!
■2017/02/26 サッカーは下手でも詐欺は天才!騙して20年間プロだったFWカルロス・カイザー
■2017/08/02 契約→引退→撤回→引退のお騒がせカッサーノ
■2017/08/02 カッサーノの引退騒動は美談?
■2017/08/02 カッサーノ「引退するとは一度も言わなかった」
■2020/07/19 ボールじゃなくて鶏をキックで蹴り殺して退場処分に!
犬や猫がサッカーの試合に乱入するという話はよくあります。そういった話で「蹴り殺した」という話は聞いたことがないのですけど、鶏を蹴り殺した選手がいるようです。
これはプロの試合ではなくセミプロの試合。クロアチア東部で2019年11月3日に行われたゲームで、ニワトリを追いかけていたNKイェレングラド(NK Jelengrad)に所属するイヴァン・ガズデク(Ivan Gazdek)選手はこのうちの1羽を足で蹴ると、羽根をまき散らしながらフェンスの向こうに放り投げました。
23歳のガズデク選手は1匹が死んだことを認めるも、「意図的ではなかった」と主張。また、ペットを何匹か飼っているほどの動物好きだとも主張しています。また、「ニワトリはしばしばピッチに入ってきて、試合を中断させていた。ピッチはふんまみれで、非衛生的な状態だった」という話もしていました。
これだけでもすごいのですけど、反スポーツ的行為によりレッドカードが提示されたという主審の判断がまた特徴的。言われてみればそりゃそうだなと思いましたが、すぐには結びつきませんでした。
また、クロアチアの動物愛護団体は彼を告訴予定だったとのこと。こうした動物愛護団体が大嫌いな人が多いですけど、こういうのは日本でも普通に犯罪の可能性があるんですよね。クロアチアの場合は、「動物の殺傷や虐待に当たる犯罪行為」で最大で禁錮1年の刑に服す可能性があるということでした。
(サッカー選手が試合中にニワトリ蹴って死なせる、愛護団体が告訴へ 国際ニュース:AFPBB Newsより)
■2017/02/26 サッカーは下手でも詐欺は天才!騙して20年間プロだったFWカルロス・カイザー
ジョークニュースじゃないかと思うんですが、本当なんですかね? FWのくせに僅か1ゴール、それでいて、20年間もプロだったというブラジル人FWがいたそうな。
現役20年でたった1ゴール…下手なのにプロで稼ぎ続けた“詐欺師FW”の手口がすごい | ゲキサカ
米『アトラス・オブスキュラ』によると、カルロス・カイザーさんは、ボタフォゴの下部組織を経て1979年にメキシコのプエブラFCに入団したが、実力が足りずに数か月で退団しました。
ただ、その後も20年間もプロであり続けました。(20年とありましたが、1990年代初めまで現役とあるので、十数年な気がします)
どのような詐欺を行っていたのか?というと、以下のような話。
・当時は過去のプレー映像を見ることはできず、クラブのスカウトは有名選手のアドバイスを信じていた。そのため、有名選手たちに取り入り、彼らに気に入られることで他クラブに推薦してもらっていた。
・入団後は、嘘の怪我を申告して調整という名目のもとで時間の引き伸ばしを行い、そのまま数か月の契約期間を満了し、次のクラブに移籍するというパターンを繰り返していた。
・記者に賄賂を渡して自分を良く見せる記事を書かせた。
・当時は高価とされていた携帯電話を手にチームスタッフの理解できない英語で話し、世界的に名が知れていることを装った。
・フランスのアジャクシオに移籍した際、現地で「ブラジルの有名選手が来た」と話題になり、クラブは公開練習を実施してファンの前でテクニックを披露してもらう事態に陥った。ただ、ここでも機転を利かせて、ファンサービスのふりをしてボールを全て客席に蹴り込んだ。最後にユニフォームのエンブレムにキスをすると、ファンは粋なパフォーマンスに大興奮。
不正を行う人ってみんなそうなのですが、この人も以下のように正当化しています。
「全く後悔はしていない。クラブは多くの選手たちをだましてる。誰かが仕返ししなければいけなかったんだよ」
ただ、もちろんそんな言い訳は通りませんね。
■2017/08/02 契約→引退→撤回→引退のお騒がせカッサーノ
カッサーノの引退騒動。フットボールチャンネルは、一時美談にしていたのですよ。引退決めたカッサーノの家族愛。妻は「中国でも行くつもりだったけど…」 | フットボールチャンネル(2017年07月27日(Thu)8時21分配信)なんて記事を書いていました。
この時点でもうめちゃくちゃカオスなんですよ。
まず、35歳のカッサーノは7月10日に、新シーズンからセリエAに昇格するエラス・ヴェローナと契約。
しかし、そのわずか8日後の18日に現役引退を宣言。
ところが、その日の夕方の会見にはもう「引退なんてバカなことを考えてしまった。考え直さなかったら、人生最悪の決断になった。ただ家族が恋しかった」と撤回。
そして、 24日に再び2度めの引退の発表を行いました。
(一部は、元伊代表カッサーノが2度目の引退表明、家族を優先 - 海外サッカー : 日刊スポーツより)
■2017/08/02 カッサーノの引退騒動は美談?
で、これをどう美談にしたのか?と言う話。
家族はカッサーノが昨季まで在籍したサンプドリアの本拠地ジェノバの近郊に住み、子供たちはそれぞれ学校や幼稚園に通っています。水球選手であった妻であるカロリーナ・マルチャリスさんも、ジェノバに近いチームでの現役復帰を目指していました。
そして、引退を決めたのは、カロリーナさんや子供たちと離れて暮らすことも、ヴェローナに呼ぶことも選べなかったためとしていました。「アントニオは単純に、私や子供たちが生活を変えることを望まなかったの」とカロリーナさんは語っています。
カッサーノが18日朝に最初に引退を考えた時には、カロリーナさんは子供たちと一緒に450kmの距離を車で駆けつけ、その日のうちに考え直すよう説得したという。お互いがお互いを支えようとした家族は、最終的にカッサーノの引退という結論に至ることになったとしていました。
ずいぶんと美しい話にまとめましたね。
■2017/08/02 カッサーノ「引退するとは一度も言わなかった」
で、その美しい話を彼が1週間後にぶち壊しにします。なんと契約解除にかんするヴェローナとの話し合いでは、「引退するとは一度も言わなかった。違うことが書かれたけど、それが真実だ」と主張しだしました。
ヴェローナが自分の環境ではないと悟ったとも書かれていましたが、それは勝手な話。
騒動に付き合わされたヴェローナが違約金を設定したことについても、「(引退するとは一度も言わなかった) だからヴェローナは、ほかのクラブに加入した場合の違約金を設定してきたんだ」と、ヴェローナを悪く言っています。
クラブに迷惑をかけたという思いは、微塵もないようです。
(お騒がせカッサーノ、やっぱり現役引退否定。「辞めるなんて一度も言ってない」 フットボールチャンネル | スポーツ | 2017年08月01日 より)
こんなクズ男の話を美談にしちゃいけませんよ。
2024年10月6日日曜日
日本人はゴールマウスとボランチの意味を誤解している
■2017/02/16 日本人はゴールマウスとボランチの意味を誤解している
■2017/11/04 ハットトリックの語源は同じイギリス発祥のクリケットに由来って本当?
■2017/02/16 NHKのサッカー映像制作は下手 専門ではなく外注だから
元JFA会長の岡野俊一郎さんによると、サッカーの試合における映像制作が最も上手いのは文句なしでイギリスのBBC。なぜかと言えば、サッカー専門のクルーを擁しているから。日本ではNHKでもサッカー専門クルーを持っておらず、すべて外注だそうです。
例えば、日本の映像でおかしいのは、選手個人のアップが長すぎること。シュートを外した選手を、ずっと追っていることが珍しくないが、すでに試合は動き出していて画面がそれを捉えていない、といった具合です。
(岡野俊一郎と金子勝彦が語る日本サッカー(その2)TV中継で誤用が多い「ゴールマウス」と「ボランチ」 | フットボールチャンネル | サッカー情報満載! 2014年07月22日(Tue)10時33分配信 text by 藤江直人より)
■2017/02/16 日本人はゴールマウスとボランチの意味を誤解している
驚いたのは、ゴールマウスは完全に元の意味と違っているという話。現在のゴールマウスは、ゴールの枠内を差しており、これを超えるとゴールになるという面のことを指して使われています。アナウンサーが「シュートがゴールマウスを外れました」と言うことがあると、岡野さんは指摘しています。
ところが、これ、本当は間違いなんだそうな。ゴールマウスとはかつてはゴールエリアを意味して、それが徐々に変化してきて、いまではゴール前の危険な地域を指すようになったのだそうです。
一方、ボランチの方は、一応役割だというのは理解していました。「ハンドル」といった意味だと聞いたことがあります。守備的な中盤ではなく、全体をコントロールするようなイメージで捉えていました。
ただ、岡野さんは、以下のように言っていて、またちょっと違う指摘ですかね。
「ボランチというポルトガル語をポジションの意味で普通に使う。ボランチとは役割を指すのであって、決してポジションではない。FIFAの公式記録を見れば一目瞭然です。サッカーにおけるポジションはGK、DF、MF、FWの4つしかないんです」
インタビューアーは、"「舵取り役」や「ハンドル」を意味するボランチという言葉は、1993年のJリーグ創設以降に来日したブラジル人選手が広く浸透させたと言われています"と、補足していました。
■2017/11/04 ハットトリックの語源は同じイギリス発祥のクリケットに由来って本当?
サッカー用語関連で「ハットトリック」の語源について。ただ、クリケット由来という説明は、有名ですよね。ところが、日本サッカー協会のページでは、「語源は諸説あります」と書いていたので、一瞬ドキッとしました。
ただし、続けて 「イギリス発祥のクリケットに由来しているといわれています」とのことでやはり有力とのこと。
クリケットは日本では全く馴染みがないものの、実はインドでは今でも大人気なスポーツ。日本サッカー協会では、「クリケットは野球の元になったスポーツ」としていました。
さらにクリケットで3人の打者を連続でアウトにするのは、野球以上に難しいと説明した上で、その偉業を成し遂げた選手には高級な帽子が贈られ、大変な名誉なこととされた、と紹介しています。
ここまで書くともうおわかりですね。これがサッカーでも使われるようになり、1試合で3得点した場合をハットトリックというようになったというのが有力なようです。
ちなみに異説としては、「「選手の功績を称えて観客が帽子を投げ入れたから」というのがあるそうな。初めて聞きました。
また、6得点をダブルハットトリック、9得点をトリプルハットトリックというとも説明されていてびっくり。俗な言い方だと思っていましたわ。
(ハットトリックの語源は?|お問い合わせ|日本サッカー協会より)
2024年10月5日土曜日
【クイズ】1989年のコロンビアリーグで優勝チームがいなかった驚きの理由とは?
■2016/12/16 コロンビアのアトレティコ・ナシオナル、クラブワールドカップで来日
■2020/08/10 【答え】1989年のコロンビアリーグで優勝チームがいなかった驚きの理由とは?
■2020/08/10 【クイズ】1989年のコロンビアリーグで優勝チームがいなかった驚きの理由とは?
コロンビアのリーグで何かおもしろい話をなにか一つは…と探して、最初にクイズを入れることに。おもしろいというよりは、物騒な感じのクイズになってしまいました。私のおもしろくないサッカーの感想の後にクイズの答えがあります。
【クイズ】コロンビアにおけるサッカーの最上位リーグであるカテゴリア・プリメーラAですが、1989年にはポストシーズンが中止され、優勝チームを決定できなかったそうです。その理由として正しいものはどれでしょう?
(1)政情不安によって中止されたため。
(2)審判が暗殺されたため。
(3)麻薬取引にほとんどのクラブが関わっていたため。
■2016/12/16 コロンビアのアトレティコ・ナシオナル、クラブワールドカップで来日
あんまり南米のチームって見る機会ないですよね。鹿島が3-0で勝った2016年のクラブワールドカップ準決勝ですが、内容的にはコロンビアのアトレチコ・ナシオナルがむしろ優勢でした。
GK 34 フランコ・アルマーニ
DF
2 ダニエル・ボカネグラ
3 フェリペ・アギラール
12 アレクシス・チャラレス
19 ファリド・ディアス
MF
6 マテウス・ウリベ
8 ディエゴ・アリアス
10 マクネリー・トーレス
FW
9 ミゲル・ボルハ
21 ジョン・モスケラ
28 オルランド・ベリオ
監督 レイナルド・ルエダ
(【鹿島×ナシオナル|スタメン発表】永木に代わり小笠原! 金崎は再びスーパーサブ
SOCCER DIGEST Web 12/14(水) 18:44配信 より)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161214-00021198-sdigestw-socc
GK 34 フランコ・アルマーニ
3失点ですけど、アルマーニも別に悪くはなかったですよね。むしろ前半はよく当たっていて、裏へのボールも飛び出していて守備範囲広くよく守っていて良いゴールキーパーだと思いました。
1点目はPK、3点目は完全に崩されて。2点目は競り合ってこぼれてではあるものの、ミスだとは感じませんでした。アルゼンチン人って紹介されていた記憶。
MF 10 マクネリー・トーレス
ゲームメイクしていた選手。スルーパスを通してきていて、怖かった選手の一人。いい選手です。Wikipediaもありました。ワールドカップで見た記憶はないですし、情報もありません。
FW 9 ミゲル・ボルハ
センターフォワードみたいな感じ。ポストプレーが良かったものの、体の強さというよりはうまさで収まる選手。相手に最初に体を当てておいて、距離を開けてボールをコントロールするプレイが目立っていました。
ただ、ワンタッチでボールを意外な方向に動かしてターンするプレイも何度もやっていて、印象的です。ここらへんもあって点取り屋という紹介のイメージとは異なるものの、シュートセンスは感じました。ゴリゴリってイメージではなく、うまさが前面に出ているFWですね。
しかし、後半は焦りがあったのか、シュートなど力みのあるプレイが増えてしまいました。ああ、まだ23歳なんだ。後半の焦りは確かに若さなのかもしれませんけど、前半の老練さも感じさせるプレーからしてベテランなんだと思って見ていましたわ。
なお、その後、アトレティコ・ナシオナルは、飛行機事故が起きて決勝で戦えなかったシャペコエンセに、コパ・スダメリカーナの優勝を譲り、受理されました。アトレティコ・ナシオナルは、夏にコパ・リベルタドーレスを制していましたので、コパ・リベルタドーレス優勝でコパ・スダメリカーナ準優勝ということになります。
■2020/08/10 【答え】1989年のコロンビアリーグで優勝チームがいなかった驚きの理由とは?
【クイズ】コロンビアにおけるサッカーの最上位リーグであるカテゴリア・プリメーラAですが、1989年にはポストシーズンが中止され、優勝チームを決定できなかったそうです。その理由として正しいものはどれでしょう?
(1)政情不安によって中止されたため。
(2)審判が暗殺されたため。
(3)麻薬取引にほとんどのクラブが関わっていたため。
【答え】 (2)審判が暗殺されたため。
コロンビアは治安の悪い国というイメージがあり、サッカー選手の暗殺事件も起きています。Wikipediaには詳しい話がなかったのですけど、審判が暗殺されたことが原因で1989年にはポストシーズンが中止され、優勝チームを決定できなかったそうです。
なお、 政情不安によって中止されたというのは、1947年から1948年にかけてのリーグ。実はこれリーグ創設の年であり、いきなり最初からつまずいたようです。
「(3)麻薬取引にほとんどのクラブが関わっていたため」は完全に一から作った選択肢でしたが、コロンビアは麻薬取引のイメージも強いため、「あり得る」と思った方もいたかもしれません。
2024年10月3日木曜日
サッカーでのテレビ局への苦情「芸能人を呼ぶな」がほとんど
■2020/08/04 明石家さんまよりすごい“サッカー愛”タレント ランキング1位は?
■2017/02/16 サッカーでのテレビ局への苦情「芸能人を呼ぶな」がほとんど
岡野俊一郎元JFA会長のしていた話で激しく共感したのが、芸能人の話です。
岡野俊一郎と金子勝彦が語る日本サッカー(その3)TV中継に何が必要で、何が欠けているのか? | フットボールチャンネル | サッカー情報満載!
「国際試合になるとゲストが呼ばれますよね。民放の場合は芸能人が多いんですけれども、それで視聴率が上がるかどうかは別として、ある局のトップに聞いたら局への苦情のほとんどは「芸能人を呼ぶな」というものらしいんですね。
スポーツはスポーツとして、普通に放送して欲しい」
私もサッカー放送に出てくる芸能人が、心底嫌いです。あれを全滅させてほしいですね。
■2020/08/04 明石家さんまよりすごい“サッカー愛”タレント ランキング1位は?
上記の芸能人は全然サッカー好きではない芸能人という意味だと思うんですけど、サッカー好きの芸能人でも普通に私は嫌ですね。明石家さんまさんがサッカーの中継で出てくるのが本当嫌でした。コメントもいちいちイラッと来ます。
その明石家さんまさんは、一般的にはウケが良いのか、オリコンの“サッカー愛”タレント ランキングで2位でした。では、1位は誰だったのか?と言うと、小柳ルミ子さん。小柳ルミ子は、ちょっと見かけないほどのサッカーマニアの領域らしいので納得です。ただ、エピソードを見ると、やはり試合中継には出すべきではない感じでした。
<仕事がある時でも1日5試合、休みの時は10試合観戦し、年間で2000試合以上をチェック。睡眠時間も3時間。観戦しながら、各チームの戦術をノートに書き込む>
<サッカー解説者として小柳が登場。『明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2017 浦和レッズ対ドルトムント』戦では、「サッカー選手は私の子宮から生まれた」などのコメントを繰り出し、サッカーファンを騒然とさせた。そんな小柳“迷”解説に「自分語りの実況解説」と炎上ボヤ騒ぎもあったり、逆に「伝説の解説」、「サッカーファンの裾野が広がるかも」と称賛の声も巻き起こった>
(芸能界最強の“サッカー愛”タレント ランキング | ORICON NEWS 2018-06-15より)
なお、3位はナインティナインの矢部浩之、4位は川平慈英、5位は木梨憲武 でした。