2024年10月31日木曜日
広島ユース黄金世代、高円宮杯出場メンバーから13人がJリーグ入り・プロ入り
■2016/11/9 広島ユース黄金世代、高円宮杯出場メンバーから13人がJリーグ入り・プロ入り
2004年10月の高円宮杯(U-18) サンフレッチェ広島1-0ジュビロ磐田のメモを見ながら、このサンフレッチェユースの優勝メンバーから何人プロ入りしたかな?と気になりました。
GK
佐藤昭大 広島 → (中略) → 鹿島 → 熊本
DF
槙野智章 広島 → ケルン → 浦和 【日本代表】
藤井大輔 新潟 → 草津 → 長崎 → 讃岐
大屋翼 関西大学 → 神戸 → (岡山) → 神戸 → 大宮
森脇良太 広島 → (愛媛) → 広島 → 浦和
ここまでパーフェクトですが、森山佳郎監督をして「同世代には絶対に破れない」と言わしめるほどの絶大な信頼を置かれていた藤井大輔選手が広島入りせずにストレートに新潟入りしていました。
たまにクラブユースから別のクラブに行くことはあるものの、こういう評価高い選手が行っちゃうってのは珍しいですね。ユースの監督とフロントで評価が異なったのかもしれません。
MF
柏木陽介 → 広島 → 浦和 【日本代表】
田中祐樹 → 桃山学院大学 → 日立笠戸 → 広島インターナショナル
https://www.facebook.com/786025071509723/photos/a.787397704705793.1073741828.786025071509723/850567465055483/?type=3&theater
生年月日:1986年4月28日 出身地:山口県とのこと。
初めてJリーグ入りしていないっぽい選手。決勝ではいいCK2本蹴っていたとメモしてありました。
木原正和 阪南大学 → 大宮 → 福岡 → カンボジア・リーグのトライアジア プノンペンFC
メモにはありませんでしたが、当時2年生だったみたいですね。右から突破しての良いセンタリングが印象だった選手。上記のようにストレートにプロ入りはせずに大学を経てJリーグへ。
その後はカンボジアに行っていますが、何と"2015年、経営危機に陥っているプノンペンFCの存続を条件として、選手兼任監督に就任"という珍しいことに。当時は28歳か29歳ですから結構若いです。
FW
桒田慎一朗(桑田慎一朗) 広島 → 岡山 → タイ・ディヴィジョン1リーグ(2部)のナコーンラーチャシーマーFC
感想メモしていなかった選手ですがストレートで昇格。
平繁龍一 広島 → (中略) → ザスパクサツ群馬 → 熊本
チャンスで外したりとさっぱり良いと思わなかった選手。U-19とメモしていましたが、当時1年生だったんですね。すごい選手でした。相変わらず見る目ないです。
前田俊介 広島 → 大分 → (中略) → 札幌 → 鳥取
各大会で得点王で、(高円宮杯でも?)3大会連続得点王。ユース代表で見ていた選手なので、知っていました。ところが、代表では全然良さがわからず、なぜみんなベタ褒めなのだろうと不思議だった選手。
この日はすごく強引で個人技で抜いていく場面が目立ちました。テクニックはしっかりしています。この試合は代表よりも良さがわかったものの、やっぱり私はイマイチお気に入りにならず。
スタメンは11人10人がJリーグ入り。恐ろしいですね。
以上がスタメンだったものの、U-19の高柳選手は前日10時帰国でベンチスタート。後半登場でした。本当豪華だった広島ユース黄金世代です。
高柳選手もまあ正直好きではないのですが、この日は一番良いと思った選手。球際強いですし、ここでは身体能力も抜けていました。
MF
高柳一誠 広島 → 札幌 → 神戸 → 熊本
あと、メモしていなかったものの、他にも途中出場でプロ入りの選手が。どんだけいるのよ? 遊佐克美選手は当時1年生ですね。
遊佐克美 広島 → 金沢 → (中略) → インドのノースイースト・ユナイテッド
冨成選手は3年生。
冨成慎司 福岡大学 → 岐阜 → 藤枝MYFC → 鹿児島ユナイテッドFC
高柳ともう一人高何とかって良い選手いたじゃん!と検索したら、高萩でした。当時から有名だったので、怪我だったのかも…ああ、違った。「クラブ史上初のプロの高校生Jリーガー」ということで、それが理由かも。
高萩洋次郎 広島 → 愛媛 → 広島 → オーストラリア・ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC → 韓国・FCソウル 【日本代表】
以上。すごいですね。ここらへんだけで14人がJリーグ・プロ入りしています。
2024年10月29日火曜日
FIFA最優秀監督、CLなど5冠フリックが謎の落選でクロップになって波紋
■2020/12/21 FIFA最優秀監督、CLなど5冠フリックが謎の落選でクロップになって波紋
FIFA(国際サッカー連盟)は年間表彰式『ザ・ベスト・FIFAフットボールアウォーズ2020』を開催し、年間最優秀監督賞にリヴァプールを30年ぶり戴冠へと導いたユルゲン・クロップ監督を選出。現在トッテナムの監督であるモウリーニョさんはこれに「(引用者注:バイエルン監督のハンジ・フ)フリックが戴冠するものと思っていたがね。彼が勝つ唯一のチャンスは、バイエルンはあと2~3の新たなコンペティションを見つけて、それに勝つことだと思う」と皮肉を言っていました。(モウリーニョ、クロップのFIFA最優秀監督賞に皮肉「フリックは2~3の新大会を見つけるしかない」 | Goal.comより)
モウリーニョ監督は口が悪いので、本来でしたらいちいち気にしてはいられません。ただ、今回の受賞は確かに不可解。というのも、バイエルンのハンジ・フリック監督は国内2冠、国内外スーパーカップ2冠、チャンピオンズリーグ王者となっていたため。国内タイトルだけでなく、最高峰のCL王者となりながら受賞できないというのは、かなり不可解で不自然でした。
ここらへんを疑う声は、3冠達成もFIFA最優秀監督賞を逃したフリック「少し失望した…でも人生は続いていく」(GOAL)のコメント一覧 - Yahoo!ニュースでも出ていました。私は本来、陰謀論的なことは支持しないものの、今回の選出はおかしすぎ。弱小クラブでのプレミア制覇ならそちらを優先評価するのはまだ少しは理解できたのですが、リヴァプールの場合はそうでもありませんしね…。
<リヴァプールもしくはクロップ贔屓としか思えないわ(中略)最低だね、腐りきってるよ>
<フリックが選ばれない謎だよな>
<取れるタイトルは全部取ったのにこれ以上どうすりゃいいんだよって感じだろうなフリックからすれば>
<プレミア制覇が最優秀監督なら今までどれだけの人が受賞できたんだよ>
2024年10月27日日曜日
日本にはかつてFCニッポンというクラブが存在…日本代表って意味?
■2020/11/16 日本にはかつてFCニッポンというクラブが存在…日本代表って意味?
「FCニッポン」というクラブがあったと、知ってびっくり。これは「日本代表」という意味ではありません。東京ヴェルディ1969 - Wikipediaを見ていて、知った話なんですよ。つまり、ヴェルディがFCニッポンと名乗っいた時代があったのです。マスコミでもそういう表記はなかったんですけどね。Wikipediaによると、チーム名(正式名称)は、Jリーグ加盟から1999年1月31日までは「読売日本サッカークラブ」、同年2月1日より2009年10月20日までは「FCニッポン」、2009年10月21日以降は現名称の「東京ヴェルディ1969」だといいます。「読売日本サッカークラブ」の「日本」が残った形ですかね。
ただ、1クラブが「FCニッポン」と名乗るというのは、問題を感じるもの。おこがましい…図々しくでしゃばっている感じもあります。ちなみにかつての読売クラブには「日本代表に選ばれるより読売でレギュラーを取る方が難しい」とも言われた、すごすぎる黄金期がありました。ただ、前述の通り、1999~2009年に名乗っていた名前であり、全然強くなかった時代。最後の優勝は1994年というはるか昔。しかも、FCニッポン時代の最高成績は名乗りだした1999年の7位というひどさ。2006年にはJ2に降格。最高7位、二桁常連、J2降格のくせして、「FCニッポン」とは、マジで図々しいです。
なお、「FCニッポン」時代に実際に言われていた呼称は、その前の「読売日本サッカークラブ」と変わらず、「ヴェルディ川崎」でした。ヴェルディは絶えず、ホームタウンを川崎から東京へ移すという話も出ていたところですから、川崎愛のなさも感じる話ですね。ヴェルディは日本最高のクラブとしてJリーグに参加し、全国的な知名度も高かったにも関わらず、サポーター愛の弱いクラブとしても有名だったことも思い出します。本拠地である地元川崎への愛がなかったせいかもしれません。
2024年10月26日土曜日
アルビレックス新潟シンガポールは成功しているのか?
■2020/11/14 シンガポールでプレーする「アルビレックス新潟シンガポール」
■2020/11/14 アルビレックス新潟シンガポールは成功しているのか?
■2020/11/14
シンガポールでプレーする「アルビレックス新潟シンガポール」
作られたときにおもしろいな!と思っていた「アルビレックス新潟シンガポール」。今頃ですが、Wikipediaを読んでみました。2004年からシンガポールプレミアリーグ(旧称:Sリーグ)に参加しているということで、もうかなり昔からですね。
そもそもどういった目的なのか?と言うと、チームの目的として、同国でのサッカーのレベルアップへの貢献と、選手の国際経験の充実化を図ることを目指している、との説明。第一にシンガポールのサッカーへの貢献を謳っているようです。ただ、私は若手の育成がメインだと思っていました。こちらも「選手の国際経験の充実化」というひねった書き方をしていますね。
Wikipediaによると、選手は日本でスカウト・採用された選手と、アルビレックス新潟のスポンサーの1社であるNSGグループが運営する「JAPANサッカーカレッジ」(JSC)の在学者や卒業生から選抜されたメンバーが主体となったとのこと。この説明は「最初は…」という意味ですかね。この説明の後、「アルビレックス新潟や、それ以外のJリーグチームから若手の育成先として選手の派遣を受け入れつつ、Jリーグクラブを契約満了となった若手選手、前述のJSCの履歴を持つ選手などで構成される」と続いています。
おもしろいのは、選手だけでなく若手の指導者をチーム首脳に登用したり、Jリーグのベテラン選手をコーチ兼任で派遣または現地採用するなど、選手育成だけでなく指導者の育成も行っているということ。こちらは若手の育成だけでなく、シンガポールサッカーへの貢献という目的に合う活動もしているんですね。
■2020/11/14 アルビレックス新潟シンガポールは成功しているのか?
ズバリ「アルビレックス新潟シンガポール」は成功しているのか?というのが気になっていたのですが、Wikipediaでは成功していると思わせる書き方をしている部分があります。これは、Jリーグで活躍している人を輩出…といったものではなく、「選手の国際経験の充実化」と掲げていた目的に合うものです。きれいごと言っているだけじゃなく、ちゃんと目標に沿ってやっているみたいですね。
<近年はアルビレックス新潟シンガポールから移籍後に東南アジアを中心で活躍する選手たちを次々と輩出しており、2010年11月のポルトガル2部リーグのCFベレネンセスとのパートナーシップ契約締結や、アジア諸国の代理人とのコンタクトを密にすることで、戦略的に海外で活躍する日本人選手を生み続けようとしている>
また、当初はアルビレックス新潟からの財政援助を受けてきたのですが、現在は単体で黒字を確保しているとのことで、ビジネス的にも成功。私はこういった面も重視します。
なお、2016年、シンガポールで史上初となる四冠を達成し、翌年も四冠を達成するなど、チームとしても活躍。ここらへんはシンガポール側としてはどうなんですかね? その後は、レギュレーションが改定されるなどしています。この改定により、シンガポール人選手を登録が可能となって、シンガポール人下部組織を作るなどしており、シンガポール側には良さげな方向性。シンガポールのサッカーへの貢献というお題目の方も、結果的には、かなりしっかりやられることになっていそうでした。
2024年10月24日木曜日
やたら多い広島ユース優勝組の浦和入り 森脇良太、柏木陽介、槙野智章
■2016/11/4 広島ユース時代全く良さを見抜けなかった将来の日本代表・槙野智章
■2016/11/4 やたら多い広島ユース優勝組の浦和入り 森脇良太、柏木陽介、槙野智章
■2016/11/4 広島ユース時代全く良さを見抜けなかった将来の日本代表・槙野智章
2004年10月の高円宮杯(U-18) サンフレッチェ広島1-0ジュビロ磐田のメモより。
注目選手とも紹介されていなくって全く感想もなかったのですが、メンバー見ていてあれ、槙野って日本代表の槙野じゃね?と気付きました。全く良さを見抜けませんでしたわ。まあ、しょっちゅうですから良いんですけど。
当時は2年生だったみたいですね。
-----引用 ここから-----
槙野 智章(まきの ともあき、1987年5月11日 - )は、広島県広島市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズ所属。ポジションはディフェンダー。広島県立吉田高等学校卒業。日本代表。(中略)
2003年にユースチームに昇格。ユース時代からの同期には柏木陽介、木原正和、福本尚純がいる。2年次からセンターバックとしてレギュラーを獲得し、ユースレベルでの3大大会の全てで決勝に進出し2冠達成に貢献した。一学年上の藤井大輔と組んだセンターバックは森山佳郎監督から「同世代には絶対に破れない」と賞賛された。3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%99%E9%87%8E%E6%99%BA%E7%AB%A0
-----引用 ここまで-----
ほとんど最近試合を見ておらず、代表招集で名前があるのを覚えていたというだけで、一度も試合を見たことがありません。今は浦和なんですね。
私はサイドバックもこなせると聞いていたので、そのイメージでした。
ただ、"ミハイロ・ペトロヴィッチ曰く「DFらしいDF」。コーチングに優れ、高い身体能力と闘争心を持ち、1対1の局面での強さに定評がある"といった評価。
サイドという記述もWikipediaにはほとんどなく、プロ入り前の以下が1つ。
-----引用 ここから-----
2000年にサンフレッチェ広島ジュニアユースに入団。同期には森重真人、左山晋平などがいる。当初はFWのポジションでプレーし、森重や平繁龍一と2トップを組んでいたが、トップ下、サイド、ボランチなど様々なポジションを経て、中学3年次にコーチの月岡利明によりセンターバックにコンバートされた[2]。
-----引用 ここまで-----
もう一つは以下。
-----引用 ここから-----
2010年12月、ドイツへ渡り、ボルシア・ドルトムントとホッフェンハイムの練習に参加。独誌キッカーからは「1対1の弱さがあり、右サイドバック向き。獲得は現実的ではない」と評され、契約には至らず、日本へ帰国。しかし、2010年12月30日、当時ケルンのスポーツディレクターを務めていたフォルカー・フィンケの誘いでドイツ・ブンデスリーガの1.FCケルンへ完全移籍加入することで合意したと発表された[8][9]。契約期間は2013年6月30日まで。代理人は長谷部誠、香川真司らと同じトーマス・クロート。
-----引用 ここまで-----
身長は182cmで、これは背の低い日本人選手としては大柄な部類です。ただ、ヨーロッパ、特にドイツとなると見劣りするでしょうね。で、出場機会に恵まれず、浦和入りってことみたいでした。
センターバックの日本人選手のトップリーグでの活躍は、なかなか難しそうです。
■2016/11/4 やたら多い広島ユース優勝組の浦和入り 森脇良太、柏木陽介、槙野智章
2004年10月の高円宮杯(U-18) サンフレッチェ広島1-0ジュビロ磐田のメモより。
森脇 良太は右サイドバックで登場。トップ入りが決まっていて、攻撃な得意な選手という紹介。ただ、その得意とされる攻め上がりはあまり目立たず。メモでは「体格ではこの中では上。身体的に上」とあった。Wikipediaのプロフィールを見ると、177cm。高校クラスならそうだろうなという数字ですね。
-----引用 ここから-----
森脇 良太(もりわき りょうた、1986年4月6日 - )は、日本のプロサッカー選手。広島県福山市幕山台出身。Jリーグの浦和レッドダイヤモンズ所属。ポジションはディフェンダー。広島県立吉田高等学校卒業。元日本代表。
生年月日 1986年4月6日(30歳)
出身地 広島県福山市
身長 177cm
体重 75kg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%84%87%E8%89%AF%E5%A4%AA
-----引用 ここまで-----
海外リーグじゃなくて日本でもCBならちょっと小さいくらいの感じだと思ったら、プロ入り後にCBに転向したそうな。
-----引用 ここから-----
強引な突破とシュートが特徴の右アウトサイド。本職はサイドバックだが、ミハイロ・ペトロヴィッチは攻撃参加や楔のパスを評価し[1] 広島ではセンターバックとしてプレーする[2][3]。
-----引用 ここまで-----
エピソードでは以下が印象的。
-----引用 ここから-----
2014年3月15日Jリーグ第3節サンフレッチェ広島戦で交代後ロスタイムに原口元気の追加点が決まると、ゴールを決めた原口元気、槙野智章とゴールパフォーマンスに参加。ところがベンチに戻ろうとした際ピッチに入ってしまい、これがサッカー競技規則第12条ファウルと不正行為に抵触し、すでにイエローカードを受けていたためレッドカードで退場となり、交代選手が退場になる珍事が起きた。しかしルールを把握しておらず、この判定に激高し主審に詰め寄ろうとしてしまうが、いち早く気付いたピッチサイドリポーターを務めていた朝井夏海がなだめロッカールームに戻った。興奮が収まらなかったが、チームスタッフがルールを教え、ここでようやく自分の犯したミスに気がついた。
-----引用 ここまで-----
Wikipediaでは説明がないものの、この後浦和入りしています。今回広島ユースのメンバーを見ていて思ったのですが、このときのユースメンバーの浦和入り多くないです? 同じ優勝メンバーの柏木陽介や槙野智章も浦和入りしています。スタメンの中で3人が浦和入り。プロ入り選手に限るとさらに確率が上がりそうです。うーん、このことは広島ファンはどう思っているんでしょうね?
2024年10月22日火曜日
サッカー・コートジボワール代表はドログバのチーム 好きなのはジェルビーニョ
■2023/05/16 コートジボワール好きな選手ベスト11 ジェルビーニョ、コロ・トゥーレ、ヤヤ・トゥーレなど
■2014/7/5:コートジボワール代表ドログバ、アフリカ最高のフォワード
■2014/7/5:コートジボワール代表ボランチ、ヤヤ・トゥーレ 兄弟2人もサッカー選手
■2014/7/5:ジェルビーニョがコートジボワール代表で一番好き ボールタッチが好み
■2014/7/5:日本戦で活躍したセルジュ・オーリエ、ウィルフリード・ボニーなど
■2014/7/5:サッカー・コートジボワール代表はドログバのチーム
ワールドカップ2014 日本VSコートジボワール のときのメモです。ワールドカップ2014で日本と対戦したコートジボワール。アフリカ最強のチームなどと言われていましたが、選手が誰も浮かびませんでした。メンバー見て何となく思い出したものの、あまり好きな選手のいないチーム…と思っていたら、いました、いました!
6月15日(日) グループC コートジボワール 2-1 日本
0(前半)1
2(後半)0
本田 圭佑(前半16分)
ウィルフリード ボニー(後半19分)
ジェルビーニョ(後半21分)
コートジボワール
GK 1 ブバカル バリー
RSB 17 セルジュ オーリエ
RCB 5 ディディエ ゾコラ
LCB 22 スレイマヌ バンバ
LSB 3 アルトゥール ボカ 後半30分
RDH 9 イスマエル ティオテ
LDH 20 セレイ ディエ 後半17分
OH 19 ヤヤ トゥレ
RSH 10 ジェルビーニョ
LSH 8 サロモン カルー
FW 12 ウィルフリード ボニー 後半33分
交代
FW 11 ディディエ ドログバ 後半17分
DF 18 コンスタン ジャクパ 後半30分
MF 13 ヤ コナン 後半33分
グループC第1節 コートジボワール vs. 日本 - 試合詳細 - ブラジルワールドカップ特集 - スポーツナビ
<a href="http://brazil2014.yahoo.co.jp/game/result/?gid=2014061403" target="_blank">http://brazil2014.yahoo.co.jp/game/result/?gid=2014061403</a>
ポジションはテレビから。
特に覚えていませんでしたが、ドログバなどを見て思い出します。カルーはプレミアリーグかどこかでも見ましたし、ヤヤ・トゥーレは結構好きな選手。兄弟のコロ・トゥーレはもっと好きだった気がしますが、今回はいません。
それより何より一番好きだったのがジェルビーニョ。画面が小さくて紹介じゃ名前がよく見えなかったんですが、あっ、このブラジル系の名前の選手好きだったはず!と思いました。ボールタッチがすごく好みです。
前半はヤヤ・トゥーレが中心なのかなぁ?という感じでしたが、うまく周囲と合わず力を出し切れていない印象。後半になると、ドログバが出てきてチームが一変。ドログバを止められると打つ手なしなんて言われていましたが、やはりドログバのチームですね。すごい選手ですわ。
■2023/05/16 コートジボワール好きな選手ベスト11 ジェルビーニョ、コロ・トゥーレ、ヤヤ・トゥーレなど
コートジボワールは好きでもない…と書いていたときもあったものの、見返してみるとかなり好きなチームの一つといった感じで好きな選手がかなりいます。特にジェルビーニョはアフリカベスト11クラスで大好き。ただ、全盛期が終わり、今後はなかなか苦しいかもしれません。
ドログバ
カルー ジェルビーニョ
ヤヤトゥレ
ディエ ティオテ
ボカ オーリエ
バンバ コロトゥレ
バリー
GK ブバカル バリー 1 34歳(2014年ワールドカップ) 1979/12/30 180cm
RSB セルジュ オーリエ 2 21歳(2014年ワールドカップ) 1992/12/24 174cm
日本戦で2本クロスからアシストしていた選手。
CB、RSB コロ・トゥーレ 8 29歳(2010年ワールドカップ) 1981/3/19 183cm
LCB スレイマヌ バンバ 1 29歳(2014年ワールドカップ) 1985/1/13 190cm
LSB アルトゥール ボカ 1 31歳(2014年ワールドカップ) 1983/4/2 166cm
RDH シェイク・イスマエル・ティオテ 1 28歳(2014年ワールドカップ) 1986/6/21 180cm
LDH セレイ ディエ 2 29歳(2014年ワールドカップ) 1984/11/7 179cm
前半カウンターでドリブル。良い位置でフリーキックを貰っていた選手。
CH、OH、CB ヤヤ・トゥレ(トゥーレ) 7 歳(2010年ワールドカップ) 1983/5/13 191cm
RSH ジェルビーニョ(ジェルヴィーニョ) 9 23歳(2010年ワールドカップ) 1987年5月27日 179cm
ミスプレーも多いんですけど、ボールタッチが好き。私は攻撃なら結構ミス多い選手も好きですね。どんどんと仕掛けていて楽しい選手です。
LSH サロモン カルー 1 28歳(2014年ワールドカップ) 1985年8月5日 186cm
FW ディディエ ドログバ 2 36歳(2014年ワールドカップ) 1978/3/11 189cm
ドログバが入ってがらっと流れが変わります。やはりドログバのチーム。低い位置でもドログバが持つと取られないですので、チームも楽。安心感、安定感が出てきました。
競り合いも強く、長いボールでも収めたり、味方に出したりできるので非常に助かるプレイヤー。逆にドログバを止められると打つ手が無いと言われていましたが、当面ドログバ頼りからは抜けられなそうです。良い選手だなぁ。
■2014/7/5:コートジボワール代表ドログバ、アフリカ最高のフォワード
好きか?っていうと別に全然好きではないんですが、ドログバは本当すごい選手ですね。アフリカ最高のフォワードと言われるのもわかります。
前半はちょっとピリッとしなかったコートジボワール。もう少ししっかりしていれば数点入っただろうなというゲームでしたが、うまいこと行きません。アフリカのチームはムラッ気あるしなぁと思います。
FW 11 ディディエ ドログバ 後半17分IN
しかし、ドログバが入ってがらっと流れが変わります。やはりドログバのチーム。低い位置でもドログバが持つと取られないですので、チームも楽。安心感、安定感が出てきました。
競り合いも強く、長いボールでも収めたり、味方に出したりできるので非常に助かるプレイヤー。逆にドログバを止められると打つ手が無いと言われていましたが、当面ドログバ頼りからは抜けられなそうです。良い選手だなぁ。
交代で入ってすぐ右サイドドリブルで入っていてヒール。チャンスに。この入り方がまた良かったんですね。
日本が戻れず中央で4VS4の場面。よりによってドログバのマークを外しちゃいましたが、DFに当たってCKで済みました。
生年月日 1978年3月11日
身長 189cm
体重 91kg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%90
コートジボワールってどんなチームだっけ?とわからなかったんですが、ドログバと聞いて何となく「あー」と。でも、もうすごい年齢じゃない?今回はもういないと思っていた…と感じたので、確かめてみると36歳の大ベテラン。これで代表のFWでレギュラー(本当はレギュラーだったんですよね、たぶん)、しかも、チームの中でもずば抜けたパフォーマンスってのはすごいですね。
古い選手で私も見たことはないんですが、アフリカではロジェ・ミラというカメルーンの伝説のFWがいました。彼が大活躍した1990年イタリアW杯ではたぶん38歳。アフリカはすごいFWを輩出しますね。
■2014/7/5:コートジボワール代表ボランチ、ヤヤ・トゥーレ 兄弟2人もサッカー選手
ワールドカップ2014で日本と対戦したコートジボワール。コートジボワールって誰いたっけ?と思いましたが、ヤヤ・トゥーレはバルセロナ時代に結構好きでした。
OH 19 ヤヤ トゥレ
DHが本職だと思っていましたが、今回は一つ高い位置。今シーズンはマンチェスター・シティでも大活躍したそうな。チームでも前半は中心といった感じでした。
でも、病み上がりみたいなことを言っていましたね。本人の試合勘やコンディション以上に、解説の岡田武史さんは周囲の動きが一つ遅いのでは?という指摘。中心となっているものの、今日は大きな活躍はできませんでした。後半も途中出場のドログバに持って行かれた感じ。
兄弟のセンターバックのコロ・トゥーレの方がどちらかと言うと好きだった気がしましたが、今回は出ていません。ヤヤ・トゥーレもセンターバックできると私は思っていました。メンバーの欠員や途中交代によってバルセロナ時代はセンターバックもやり、パフォーマンスも良かった覚えがあるためです。
しかし、Wikipediaを見ると飽くまでポジションは中盤。こなせるものの、頻繁ではないってことみたいですね。
コロ・トゥーレの他にイブラヒム・トゥーレという兄弟もいたそうです。ワールドカップ期間中に亡くなってしまい、トゥーレ兄弟がブラジルを後にする…というニュースで初めて知りました。
ただ、今になってニュースを探してみると、違ったみたいです。
-----引用 ここから-----
トゥーレ兄弟、弟の悲報にもチームに残留 - Goal.com 2014/06/22 3:27:00
弟の死という悲しい知らせを受け取ったコートジボワール代表のDFコロ・トゥーレとMFヤヤ・トゥーレの兄弟だが、ワールドカップ(W杯)決勝トーナメント進出が懸かるギリシャ戦に向け、チームにとどまることを決断したようだ。イギリス『BBC』や『ESPN』などが伝えている。(略)
この訃報を受けて、コロとヤヤの両選手が、代表チームを離脱するとも伝えられていた。だが、『BBC』などによると、コートジボワール代表のスポークスマンは、「彼らはチームにとどまることを決めた。ブラジルを離れない」と話したそうだ。
http://www.goal.com/jp/news/5256/2014%E5%B9%B4w%E6%9D%AF/2014/06/22/4902124/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AC%E5%85%84%E5%BC%9F%E5%BC%9F%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%A0%B1%E3%81%AB%E3%82%82%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E6%AE%8B%E7%95%99
-----引用 ここまで-----
トゥーレ兄弟にとっては、たいへんな大会になってしまいました。
■2014/7/5:ジェルビーニョがコートジボワール代表で一番好き ボールタッチが好み
ワールドカップ2014で日本と対戦したコートジボワール。あまり好きな選手のいないチーム…と思っていたら、大好きな選手がいましたわ。ジェルビーニョです。
確かボールタッチがすごく好みだったはずと思って見てみると、やはりそういうタイプでした。いるんですよね、ボールタッチ見ているだけで幸せになれる選手って。
4年前にもブラジル人っぽい名前だと思っていたものの、特に調べず。ブラジルからアフリカへの帰化というパターンなら珍しいなと思っていたんですが、違いました。あだ名みたいです。
Wikipediaはジェルヴィーニョ(Gervinho)と表記。本名はジェルヴェ・ヤオ・クアッシ(Gervais Yao Kouassi)。 ロウナドがロナウジーニョという要領ですね。「かわいい」という意味で「~ちゃん」という感じの愛称。1987年5月27日生まれ、 179cm、80kg。
Wikipediaによれば、普通にコートジボワール・アニャマ出身であるものの、コートジボワールの都市アビジャンを本拠地とする"ASECミモザの下部組織に5年間所属し、ブラジル人監督からポルトガル語のジェルヴィーニョというニックネームを授かった"そうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7
RSH 10 ジェルビーニョ
この日見ていてもやはりうまいという選手。ミスプレーも多いんですけど、ボールタッチが好き。私は攻撃なら結構ミス多い選手も好きですね。彼は4年前もこんな感じだったと思いますが、どんどんと仕掛けていて楽しかった記憶があります。
右という紹介でしたが、左利きですし左右は流れの中でカルーと変わりながら。4年前よりは無茶な仕掛けは減ったかな?
後半中央で完全にマークが外れました。足のプレーではなく、ヘッドで得点。
■2014/7/5:日本戦で活躍したセルジュ・オーリエ、ウィルフリード・ボニーなど
RSB 17 セルジュ オーリエ
日本の悪い奪われ方が多かったところ。右の守備の枚数足りない中で、距離も詰められなかったので、落ち着いてクロス。ゴールが決まったのでアシストを記録。
直後にまた右からのクロスで2点目もアシスト。
何となく聞いたことありそうな名前と思いましたが、初見でしたね。Wikipedia見ると若い選手でした。
生年月日 1992年12月24日(21歳)
身長 174cm
体重 76kg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A8
フランスのRCランスでキャリアをスタートさせて、現在もトゥールーズFCに所属。フランスとの二重国籍です。
LDH 20 セレイ ディエ 後半17分OUT
ワンプレー記憶に残っただけで、ほとんどメモなし。Wikipediaもまだありませんでした。
前半カウンターでドリブル。良い位置でフリーキックを貰った場面が心に残ったくらい。よく覚えていませんけど、今後のためにメモ。
FW 12 ウィルフリード ボニー 後半33分OUT
後半右からのクロスで森重のマークをうまく外して、同点ゴール。得点取ったのもそうですし、マークを外せたのも良かったです。
ただ、他のプレーでは特に印象に残らず。
Wikipediaはありました。
生年月日 1988年12月10日
身長 182cm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8B%E3%83%BC
現在はプレミアリーグのスウォンジ・シティAFCというところでプレーだそうな。初めて聞いたクラブ。ここで活躍したようです。
2024年10月20日日曜日
マンチェスター・ユナイテッドのパクリクラブが6部所属…FCユナイテッド・オブ・マンチェスターという名前
■2020/12/03 マルコム・グレーザー一家が買収、経営失敗でマンUの財政悪化…
■2020/12/03 マンチェスター・ユナイテッドのパクリクラブが6部所属…FCユナイテッド・オブ・マンチェスターという名前
マンチェスター・ユナイテッドFC - Wikipediaを見ていて、パクリみたいなクラブがあると知ってびっくり。ただ、むしろマンチェスター・ユナイテッドの熱心なサポーターが関わった真面目そうなものみたいなんですよ。アメリカ・NFLのタンパベイ・バッカニアーズのオーナーであるマルコム・グレーザーさんによって買収されたとき、グレーザーさんによるクラブ支配に反対するサポーターの一部が、クラブの負債が3億2,000万ポンドに達していることを懸念し、新クラブFCユナイテッド・オブ・マンチェスターを結成したと書かれていました。
FCユナイテッド・オブ・マンチェスター - Wikipediaという単独のページも存在。ここらへんの経緯がこっちだともっと詳しいかと思って読んでみたのですが、期待に反して全然。むしろこっちの方が説明がありません。ただ、「2005年にマンチェスター・ユナイテッドFCから独立」という記述があります。これだとサポーターが勝手に作ったのではなく、正式に分離したということみたいですね。本当なんでしょうか。また、2015-2016シーズンはカンファレンス・ノース(6部相当)に所属しているという情報もありました。過去の成績を見ると、結成から3年連続で降格した後は7部で停滞し、2014-2015シーズンに1位となって6部に上がった…というところでした。それ以降のデータはありません。
■2020/12/03 マルコム・グレーザー一家が買収、経営失敗でマンUの財政悪化…
情報が少ないので、嫌われていたというマルコム・グレーザー - Wikipediaも見てみました。アメリカの実業家でユダヤ人みたいですね。父の宝石販売業を継いだ後、1970年代になりフロリダを中心に複数のトレーラーパークを所有する事業を皮切りに事業を拡大させ、食品加工、船舶用品、ヘルスケア、不動産、資源探査、放送業など様々な事業を行う企業の最高経営責任者になっていました。
マルコム・グレーザーの話については、結果的にはここが一番詳しかったです。マンチェスターユナイテッドについても以下のような話がありました。
<2003年から2005年にかけて、グレーザーは英プレミアリーグ・マンチェスター・ユナイテッドFCの株式買収を徐々に進め、約14億7000万ドルで支配権を獲得した。しかし、クラブ買収資金の大半はクラブ資産を担保に入れて高利息の借金をしたものであり、そこへ金融危機(サブプライム住宅ローン危機)で資金繰りが悪化した結果、買収前に財政状況が優良であったマンチェスター・ユナイテッドFCは一転、多額の負債を抱えるクラブとなった。
そのため、グレーザー一家によるクラブ支配に反対する声は多く、マンチェスター・ユナイテッドFCの買戻し運動、別チーム(FCユナイテッド・オブ・マンチェスター)の独立、マンチェスター・ユナイテッドFC設立当時のチームカラーである緑と黄色のマフラーを身につけて観戦するなど、多くの反グレーザー運動が引き起こされている>
グレーザーさん自身は、別チームFCユナイテッド・オブ・マンチェスターの独立した翌年である2006年、脳卒中に見舞われています。ただし、亡くなった(86歳でした)のは、2014年5月28日であり、そこまではオーナーであった感じ。また、「グレーザー一家によるクラブ支配」とあったので、オーナー1人の問題でもなかったようですね。実際、マンチェスター・ユナイテッドのWikipediaの方でも代表者は、ヴラム・グレーザーとなっており、「グレーザー一家によるクラブ支配」は続いているようでした。
2024年10月19日土曜日
Jリーグクラブ1位川崎フロンターレでも世界評価は150位程度
■2016/1/17 Jリーグクラブ1位川崎フロンターレでも世界評価は150位程度
国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)が採点し発表するクラブランキングは、毎年1月に前年の成績を採点して発表されるものとのこと。ということで、かなりゆっくりとしたランキングですが、全世界で格付けしたものとしては一番良さそうなものです。2015年のベスト10は以下のとおりでした。
1位 レアル・マドリード
2位 バイエルン・ミュンヘン
3位 アトレティコ・マドリード
4位 バルセロナ
5位 アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)
6位 ユヴェントス
7位 アーセナル
7位 ナポリ(イタリア)
9位 リバープレート
9位 レッドブル・ザルツブルク(オーストリア)
(サンフレッチェは世界何位?クラブランキングで見るJの実力|SPORTS セカンド・オピニオン|ダイヤモンド・オンライン 相沢光一 [スポーツライター] 【第376回】 2015年12月15日 )より
http://diamond.jp/articles/-/83231?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor
南米は、5位 アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)と9位 リバープレートだけ。また、ヨーロッパであっても、「9位 レッドブル・ザルツブルク(オーストリア)」も変わっていますね。そして、気になる日本のトップクラブは、150~200位くらいといったところです。
<157位に川崎フロンターレ、175位にサンフレッチェ広島、182位にガンバ大阪、204位に横浜Fマリノス。現在、世界で最も高く評価されているクラブは川崎。昨年のACLでベスト16に入ったのが効いたのか。ともあれ世界的に見れば日本のトップクラブの位置づけは100位台といったところになるのだろう>
これは低評価と見るか、高評価と見るか。どうでしょうね。記事執筆当時の国別のFIFAランキングは53位だったそうですから、それから見たらかなり高いのではないかな?と、個人的には思います。
2024年10月18日金曜日
パワハラ曹貴裁監督に復帰要請した湘南ベルマーレの謎
■2017/11/01 二度降格しても続投の湘南・曺貴裁(チョウ・キジェ)監督
■2019/05/11 降格しても続投で正解だった?湘南が初タイトルを獲得
■2019/08/19 クラブが優遇した湘南・曺貴裁監督、パワハラで有名だった
■2019/08/19 怪我でも出場、扇風機を何度も破壊、嘔吐繰り返す選手…
■2020/04/24 パワハラ曹貴裁監督に復帰要請した湘南ベルマーレの謎
■2020/07/21 「怪我してしまえ!」「チームの癌だ。出て行け」などの具体的発言
■2017/11/01 浦和・神戸でプレーの曺貴裁(チョウ・キジェ)って誰?
J2で優勝した監督が外国人っぽい名前で、中国人かな?とWikipediaを見たら、在日韓国人でした。Wikipediaでは、「チョ・グィジェ」の呼び名を採用しています。
経歴を見たら元Jリーガー。私が見ていた時期で、なおかつ見ていたチームで、かなり試合に出ていたのに全く記憶にありません。こういうケースは私には珍しく、謎ですわ。ポジションはDFだったとのこと。
うーん、でも、言われてみると、ゲームでこんな字の選手 を見た覚えもあるかも。それくらいですね。印象ないですわ。
1994 浦和 J 39 試合
1995 浦和 26 試合
1996 神戸 旧JFL 16 試合
1997 神戸 J 5 試合
…と書いたけど、初期の浦和はあまり見なかったかも。神戸は間違いなく見なかったチームで、ほとんど覚えていませんので、こちらは不思議なしです。
■2017/11/01 二度降格しても続投の湘南・曺貴裁(チョウ・キジェ)監督
また、さらに経歴を見ていて驚いたのが、2012年から湘南ベルマーレのトップチーム 監督を続けているっぽいこと。ょっとして、降格しても続投だったのでは?と思って検索したらそうみたいですね。しかも、2回も降格していて、ヘッドコーチ時代を含めると3回でした。
" 2005年から湘南のアカデミーを指導した曺貴裁監督は、09年よりトップチームのヘッドコーチを、12年から監督を務めている。今季は第2ステージ15節の大宮戦で降格が決まったものの、クラブからは引き続き来季の指揮を要請されていた。
10年と13年、そして今季と、いずれの降格にも関わってきた身にあって、答えを出すまでには少し時間が必要だった。胸中を率直に口にする。
「3回目の降格ということで、大宮戦が終わった後は自分のなかで無力感もありました。クラブからは続投してくれと言われたものの、僕にほとんどの責任があると思ってやっていたので、残ることがこのクラブにとっていいことかどうか、来季の指揮を執るのは難しいかなと思う時期も正直あった」
(中略)「自分が指揮を執ることで、選手個人の成長と、それに伴うクラブの成長に少しでも力を貸せるのであればやらなければいけないと、やりたいと思えた」"
(【湘南】3度目の降格を味わった曺貴裁監督。それでも来季続投を引き受けた理由 | サッカーダイジェストWeb 隈元大吾2016年12月03日)
最近はこういうの多いんです? 以前はあまりなかったと思うんですが…。
■2019/05/11 降格しても続投で正解だった?湘南が初タイトルを獲得
監督変えすぎ、結果を求めるの早すぎというのは、いつも批判しています。ただ、曺貴裁監督のケースが良いとも言えず。悪い結果をはっきり出しているので、私が推奨している監督続投のケースとは異なりますね。
ただ、一応結果がでてきたのかなというのが2018年。J1では低迷しつつも、13位でシーズンを終えて一応残留。一方で、YBCルヴァンカップでは、なんと優勝。湘南ベルマーレとなってからは初のJ1でのタイトル獲得、ベルマーレ平塚時代の1995年1月1日に第74回天皇杯で優勝して以来の優勝となりました。
天皇杯では、4回戦で川崎に敗れており、まぐれっぽさも感じるものの、信頼して任せた結果が出たのかもしれません。
■2019/08/19 クラブが優遇した湘南・曺貴裁監督、パワハラで有名だった
えーっ!?と思ったのが、複数選手心折れ練習困難、湘南曹監督パワハラ謹慎へ - J1 : 日刊スポーツ[2019年8月13日5時0分]というニュース。しかも、最近になって急にパワハラではなく、前から有名だったらしいんですよ。数年前にはGKコーチがシーズン途中交代し、今季もスタッフが、監督の言動により精神に支障をきたして練習場に来ることができなくなったということがあったそうです。
当初ここで書いていたのは、解任が妥当な成績なのにわざわざクラブが続投させたという話でした。パワハラがあったのだとすると、さらに、なぜクラブは辞めさせる機会がいくらでもあったのにわざわざ曺貴裁監督にこだわって続投させたのか?という話になってきます。クラブ側も共犯と言いたくなりますわ。
とりあえず、日刊スポーツが取材した複数の関係者によると、全体ミーティングでの個人攻撃は日常茶飯事で、時には個別で呼ばれるケースもあったとのこと。この後もかなりやばいエピソードが続々と出てきます。
■2019/08/19 怪我でも出場、扇風機を何度も破壊、嘔吐繰り返す選手…
選手、スタッフの前で扇風機を蹴飛ばし、壊すということがあり、これがどうも一度ではないらしく壊れた扇風機は複数。激高してペンを床にたたきつけることもありました。高圧的な言葉が続き、選手が「はい」としか答えられずにいると「はい、しか言えないのか。他に言うことはないのか」などとさらに説教。
精神的にドン底に落ちながらも自力ではい上がる選手がいた一方で、そのまま心が折れた選手もいたというのですから、絶対トップにしちゃ駄目なタイプ。ある選手はグラウンドに出ると嘔吐(おうと)を繰り返すようになったといいます。精神的な苦痛が体に不調を起こし、パフォーマンスは低下するばかり。次第にその選手は練習場に来ることすらできなくなりました。
さらに別の選手は、けがが完治していないのにもかかわらず、曹監督からの指令で無理に復帰。肉体的な疲労が精神をむしばみ、クラブハウスに近づくこともできなくなったというのでひどすぎ。安倍首相は怪我を押して出場した稀勢の里を挙げて見習うように言っていたのですけど、怪我したらゆっくり休ませないと駄目ですよ。美談にしちゃいけません。こうした思想は間違っていますし、選手を壊すブラックなものです。
■2020/04/24 パワハラ曹貴裁監督に復帰要請した湘南ベルマーレの謎
その後の話を書いていたなかったのですけど、Jリーグは曹監督のパワーハラスメント行為と湘南のクラブ幹部の監督責任を認定。曹監督にはけん責と公式戦5試合出場停止、クラブにはけん責と200万円の制裁金が課されました。
曹貴裁監督はもちろん辞めることになります。ただ、不思議なことにこの辞任もスムーズに行かず、クラブ側が躊躇していた感じがあるんですね。「降格しても続投」もそうだったのですけど、不自然に感じます。
曹貴裁監督パワハラ問題、「退任」は正しかったのか?時系列で見る湘南ベルマーレの対応への疑問 | フットボールチャンネルという記事が出ていて、これは まかさの曹貴裁監督擁護かと思ったらそうではありません。クラブ側の対応がおかしかったのではないかという指摘でした。
曹監督がクロという悪い可能性があったのにその準備をせず、Jリーグの調査報告を受けたクラブ発表でも処遇は発表せず。それどころか、その後、パワハラが認定された曹監督に現場復帰要請をしました。曹監督の退任が「解任」か「辞任」かはっきりしなかったそうですが、とにかく結果として現場復帰は実現していません。
そもそもパワハラ監督の早期復帰というのは、現実的にはほぼ不可能で無謀すぎました。どうも初報のすぐ後に、告発したと考えるスタッフを責めていたようで、この時点でもうシロ判定でも修復不可能だったでしょう。
記事では、クラブとして「社会規範違反は断固認めない」とする姿勢を打ち出すことが必要だったとも指摘。ただ、ベルマーレは身内への利益誘導を優先しちゃったんでしょうね。眞壁会長いわく、曹監督は「15年来の仲」なんだそうです。
もともと降格でも監督続投って珍しいな…と思ってこの話は書き始めたものでした。私は理解しづらかったものの、哲学としてはアリだという人はいたでしょう。それが結局、単に身内同士の馴れ合いだった…というオチ。こうした身内への利益誘導は上場企業ならガッツリ問題視されるんですけど、残念ながらJリーグクラブはそのレベルにないのかもしれません。
■2020/07/21 「怪我してしまえ!」「チームの癌だ。出て行け」などの具体的発言
パワハラ内容も補足。わりとガチでひどいです。 Jリーグの調査で判明した具体例を短くまとめながら紹介しますが、これで留任を選んだベルマーレ自体が頭おかしいですよ。
具体例〈1〉〉多くの関係者が通常通りと感じた業務を行っていたスタッフらに対して、「本当に使えねえな」「お前ら何年やってんだ」「お前らは遊んでる。遊ぶんだったら外にいろ」などと怒鳴る。その後、当該スタッフらのうちの1人に対して「二度と顔見せるな」「お前の代わりはいくらでもいる」「お前はここにいる意味がない」などと叱責。
具体例〈2〉通常通りミーティングに加わろうとしたスタッフの1人に対し、他スタッフの前で理由なくいきなり「おい、お前。出てっていいわ、部屋から」「お前ミーティングやんなくていい。来なくていいわ」「あっちに戻って勝手に映像でも見てろ」などと発言。
具体例〈3〉2019年、スタッフミーティングの際にメディカルスタッフから自らの意に沿わない見解を述べられたり報告を受けたりしたときなどに、「メディカル全員替えてもいいんだぞ」「うちのメディカルじゃなくて他で治せばいい」「お前むかつくんだよ」「お前の報告は暗いんだよ」などと発言。
2024年10月15日火曜日
「札幌の誇り」だった藤田征也が移籍、一転して激しいブーイングを浴びることに
■2016/3/16 「札幌の誇り」だった藤田征也が移籍、一転して激しいブーイングを浴びることに
2005年10月10日の高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会決勝 ヴェルディユース 4 - 1 コンサドーレ札幌ユースU-18 で見た選手のメモから。メモだと、コンサでは藤田征也選手が唯一のU-18代表だった感じ。紹介なかっただけかもしれませんけどね。
メモは「右サイドにスペース広いときに、大きくボール出してダイナミックにスピード出して抜いていくプレー」とのこと。自分でボール出して、スピード活かす形ですかね。他は、シュートで終わる意識があるとのこと。相変わらずメモが少ないです。
高円宮杯で見た選手では、プロ入り後に「この前見た選手だ」と覚えていた人はいませんでした。ただ、メモの「藤田」(下の名前はメモなし)は「あっ、プロ入りしていたかも」と思いました。やはりプロ入りしています。プロでもかなり試合も見たのではないか?と思うのですが、全然プレーぶりを覚えていません。高校時代に見たメモからすると、スピードが武器っぽいんですが…。Wikipediaを見ると、小柄な選手。特にスピードがあるとは書いていません。
-----引用 ここから-----
出身地 北海道札幌市
身長 175cm
体重 70kg
藤田征也(ふじた せいや、1987年6月2日 - )は、北海道札幌市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・湘南ベルマーレ所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。
もみじ台西小学校3年生の時にサッカーを始め、もみじ台中学校時代はSSSジュニアユースでプレーしながら各年代の日本代表に選出され、中学卒業時には鹿島アントラーズなど7つのJクラブのユースから勧誘を受けたが、地元のコンサドーレ札幌U-18に入団。2005年には全日本ユース選手権でキャプテンを務めてチームの準優勝に貢献し、(中略)2007年のFIFA U-20ワールドカップに出場するU-20日本代表に選出され、トップチームでも状況に応じて左右サイドハーフ、右サイドバックでプレーできる器用さを活かして早くから主力に定着。2008年のJ1昇格に貢献するなど活躍し、地元出身の生え抜きという経歴もありサポーターから「札幌の誇り」と親しまれた。
2011年より、アルビレックス新潟に完全移籍。開幕戦では右サイドバックでスタメン出場し、J1初得点を記録した。
藤田征也 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%BE%81%E4%B9%9F
-----引用 ここまで-----
ただし、スピードあるのかな?というエピソードはいっしょに載っていました。検索しても「スピードスター」といった記述が見られます。他にドリブルやクロスも持ち味のようです。
-----引用 ここから-----
エピソード
・札幌時代の2008年年末に放送された北海道文化放送「スポーツワイド Fの炎〜SPORT HOKKAIDO〜」の特別企画として、北京オリンピック陸上女子短距離日本代表の福島千里と100m対決を行い、手動計時で11秒54を記録した(福島千里は11秒44)[3]。
-----引用 ここまで-----
あと、Wikipediaであった「札幌の誇り」。タイトルにしたように、移籍後は一転してブーイングに変わっているとありました。
-----引用 ここから-----
ID非公開さん 2012/10/10 23:16:41
コンサドーレ札幌のサポーターの方に質問です。藤田征也選手を恨んでるサポーターがけっこういるみたいなんですが、何をそんなに悪いことしたんでしょうか。
Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1395460568
-----引用 ここまで-----
ベストアンサーは、「ブーイングは愛情半分だと思います」として、愛あるブーイングという回答。ただ、そうじゃないのでは?という意見もあります。
-----引用 ここから-----
bombayeahxxxxxxxxさん 2012/10/1110:46:23
確か来シーズンのメンバーがほぼ確定したような時期に突然発表された移籍だったような。それで本来契約しない選手と再契約したりといろいろあったと思います。
当時コンサはJ2で昇格もしばらくかかりそうな状況の中でJ1から声かかれば当然いきますわ。
生活かかってますから。恨むと言うのは筋違いも甚だしい。
そんなサポーター連中だから降格決まった試合でアウェイ会場に居座って大顰蹙かっても何とも思わんのです。
何試合か見に行きましたが、一部の連中はほんと品がないというか、応援してるんじゃなくて応援してる自分に酔ってる、ストレス発散のため裸になって叫んでる、そんな風にしか見えませんでした。
ブーイングはお約束なんでしょうが、個人的には「?」としか思えません。
newhassamuさん 2012/10/1107:00:35
何も悪いことはしていません。移籍して、『札幌を見捨てた』と思われているだけです。試合前のスターティングイレブン発表の時には、拍手されていましたが、札幌サイドでコーナーキックを蹴る時には、大ブーイングを浴びていました。
-----引用 ここまで-----
愛のあるブーイングかどうかは知りませんが、移籍の選択自体は当然なことであり、私も仕方ないと思います。藤田は悪くないでしょう。
2024年10月13日日曜日
日本代表、最後のフリーキックのゴールは2013年 名手の伝統が途絶える
■2020/08/27 5年ぶりに直接FKでゴールが決まったが、微妙だった理由
■2017/11/13 日本代表、最後のフリーキックのゴールは2013年 名手の伝統が途絶える
動いているボールをキックする練習が少ないため、 日本のサッカー選手はシュートが下手だと言われていました。一方で、プレースキックは練習しているせいか、伝統的にフリーキックの名手を多く輩出。良いキッカーが多すぎて困るくらいのイメージがありました。
ところが、最近の日本代表では、FKのスペシャリストがいないとされていて、時代が変わったなぁと感じてしまいました。
記事によれば、3-1で敗れた10日の日本代表対ブラジル代表の国際親善試合は、ゴールシーン以外のチャンスだと吉田麻也の直接フリーキックでした。
なんと日本代表の試合では、2013年のグアテマラ戦で遠藤保仁が決めて以来、直接FKからのゴールが決まっていないといいます。
スペシャリストの不在が問題視されており、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督も先月、「現在の日本には以前のようにキッカーがいない。たとえばナカムラ(中村俊輔)のようなキッカーだ」と新たなキッカーの台頭を待望する言葉を発していました。
本田圭佑がいれば彼が蹴ったと思うのですが、現在は代表を外れています。まあ、そもそも 2013年の遠藤以来決まっていないということは、本田もあまり良いキッカーではないということでしょう。予想外の事態です。
( FKスペシャリスト不在の日本、キッカーは吉田麻也? ポスト叩く惜しい一撃 フットボールチャンネル | スポーツ | 2017年11月11日 より)
https://pex.jp/point_news/9991f31cbb8f8010fc2697d44d46bb1b/#reaction-result
記事ではこれ以上の話はなかったものの、 私が疑問に思ったのは他の国やクラブではどうなのか?ということ。GKや壁の作り方、ボールの作りが変わって、直接FKが決まりづらくなったみたいなものはないんですかね?
意外すぎて、にわかには信じがたい話でしたわ。
■2020/08/27 5年ぶりに直接FKでゴールが決まったが、微妙だった理由
その後、久しぶりにフリーキックによるゴールがあったのですが、かなり特殊なものでした。フリーキックによるゴールが生まれたのは、2018年11月20日、キリンチャレンジカップのキルギス戦。格下と言える相手で4-0で勝っています。この2点目でした。13年9月6日のグアテマラ戦(○3-0)でMF遠藤保仁が決めて以来、実に5年2か月ぶりとなる直接FKでのゴールになっています。
ゴールを決めたのは、原口元気でしたが、「いやあ、カウントしないでほしいですね。決めたと言っていいのか分からないし、ゴールはゴールなので今はうれしいけど、思いどおりに蹴れたわけでもないし」と苦笑いを浮かべました。
というのも、これはGKのミスと考えられるため。キルギスのゴールマウスを守ったGKマティアシュは現在、所属クラブがない状態。3枚の壁の脇をかすめるようにニアサイドを狙った低いキックという時点で、GKの壁の作り方に問題があった可能性も思わせるのですが、加えてGKがキャッチミスしてしまってのゴールでした。「(FKの)練習はしていない。決めたのはユースのときくらい」というまさかのゴールです。
(日本代表にとって約5年ぶりの直接FK弾も…原口「カウントしないで」 | ゲキサカより)
一応、フォローしておくと、相手のミスを逃さずに得点につなげるというのも重要なこと。原口元気が悪かったわけではなく、むしろ良い仕事をしました。
ただ、日本代表にフリーキックの良質なキッカーが長らく不在という状態に関して言えば、このゴールでは変わらなかった…と言わざるを得ないでしょう。
2024年10月12日土曜日
ボールじゃなくて鶏をキックで蹴り殺して退場処分に!
■2017/02/26 サッカーは下手でも詐欺は天才!騙して20年間プロだったFWカルロス・カイザー
■2017/08/02 契約→引退→撤回→引退のお騒がせカッサーノ
■2017/08/02 カッサーノの引退騒動は美談?
■2017/08/02 カッサーノ「引退するとは一度も言わなかった」
■2020/07/19 ボールじゃなくて鶏をキックで蹴り殺して退場処分に!
犬や猫がサッカーの試合に乱入するという話はよくあります。そういった話で「蹴り殺した」という話は聞いたことがないのですけど、鶏を蹴り殺した選手がいるようです。
これはプロの試合ではなくセミプロの試合。クロアチア東部で2019年11月3日に行われたゲームで、ニワトリを追いかけていたNKイェレングラド(NK Jelengrad)に所属するイヴァン・ガズデク(Ivan Gazdek)選手はこのうちの1羽を足で蹴ると、羽根をまき散らしながらフェンスの向こうに放り投げました。
23歳のガズデク選手は1匹が死んだことを認めるも、「意図的ではなかった」と主張。また、ペットを何匹か飼っているほどの動物好きだとも主張しています。また、「ニワトリはしばしばピッチに入ってきて、試合を中断させていた。ピッチはふんまみれで、非衛生的な状態だった」という話もしていました。
これだけでもすごいのですけど、反スポーツ的行為によりレッドカードが提示されたという主審の判断がまた特徴的。言われてみればそりゃそうだなと思いましたが、すぐには結びつきませんでした。
また、クロアチアの動物愛護団体は彼を告訴予定だったとのこと。こうした動物愛護団体が大嫌いな人が多いですけど、こういうのは日本でも普通に犯罪の可能性があるんですよね。クロアチアの場合は、「動物の殺傷や虐待に当たる犯罪行為」で最大で禁錮1年の刑に服す可能性があるということでした。
(サッカー選手が試合中にニワトリ蹴って死なせる、愛護団体が告訴へ 国際ニュース:AFPBB Newsより)
■2017/02/26 サッカーは下手でも詐欺は天才!騙して20年間プロだったFWカルロス・カイザー
ジョークニュースじゃないかと思うんですが、本当なんですかね? FWのくせに僅か1ゴール、それでいて、20年間もプロだったというブラジル人FWがいたそうな。
現役20年でたった1ゴール…下手なのにプロで稼ぎ続けた“詐欺師FW”の手口がすごい | ゲキサカ
米『アトラス・オブスキュラ』によると、カルロス・カイザーさんは、ボタフォゴの下部組織を経て1979年にメキシコのプエブラFCに入団したが、実力が足りずに数か月で退団しました。
ただ、その後も20年間もプロであり続けました。(20年とありましたが、1990年代初めまで現役とあるので、十数年な気がします)
どのような詐欺を行っていたのか?というと、以下のような話。
・当時は過去のプレー映像を見ることはできず、クラブのスカウトは有名選手のアドバイスを信じていた。そのため、有名選手たちに取り入り、彼らに気に入られることで他クラブに推薦してもらっていた。
・入団後は、嘘の怪我を申告して調整という名目のもとで時間の引き伸ばしを行い、そのまま数か月の契約期間を満了し、次のクラブに移籍するというパターンを繰り返していた。
・記者に賄賂を渡して自分を良く見せる記事を書かせた。
・当時は高価とされていた携帯電話を手にチームスタッフの理解できない英語で話し、世界的に名が知れていることを装った。
・フランスのアジャクシオに移籍した際、現地で「ブラジルの有名選手が来た」と話題になり、クラブは公開練習を実施してファンの前でテクニックを披露してもらう事態に陥った。ただ、ここでも機転を利かせて、ファンサービスのふりをしてボールを全て客席に蹴り込んだ。最後にユニフォームのエンブレムにキスをすると、ファンは粋なパフォーマンスに大興奮。
不正を行う人ってみんなそうなのですが、この人も以下のように正当化しています。
「全く後悔はしていない。クラブは多くの選手たちをだましてる。誰かが仕返ししなければいけなかったんだよ」
ただ、もちろんそんな言い訳は通りませんね。
■2017/08/02 契約→引退→撤回→引退のお騒がせカッサーノ
カッサーノの引退騒動。フットボールチャンネルは、一時美談にしていたのですよ。引退決めたカッサーノの家族愛。妻は「中国でも行くつもりだったけど…」 | フットボールチャンネル(2017年07月27日(Thu)8時21分配信)なんて記事を書いていました。
この時点でもうめちゃくちゃカオスなんですよ。
まず、35歳のカッサーノは7月10日に、新シーズンからセリエAに昇格するエラス・ヴェローナと契約。
しかし、そのわずか8日後の18日に現役引退を宣言。
ところが、その日の夕方の会見にはもう「引退なんてバカなことを考えてしまった。考え直さなかったら、人生最悪の決断になった。ただ家族が恋しかった」と撤回。
そして、 24日に再び2度めの引退の発表を行いました。
(一部は、元伊代表カッサーノが2度目の引退表明、家族を優先 - 海外サッカー : 日刊スポーツより)
■2017/08/02 カッサーノの引退騒動は美談?
で、これをどう美談にしたのか?と言う話。
家族はカッサーノが昨季まで在籍したサンプドリアの本拠地ジェノバの近郊に住み、子供たちはそれぞれ学校や幼稚園に通っています。水球選手であった妻であるカロリーナ・マルチャリスさんも、ジェノバに近いチームでの現役復帰を目指していました。
そして、引退を決めたのは、カロリーナさんや子供たちと離れて暮らすことも、ヴェローナに呼ぶことも選べなかったためとしていました。「アントニオは単純に、私や子供たちが生活を変えることを望まなかったの」とカロリーナさんは語っています。
カッサーノが18日朝に最初に引退を考えた時には、カロリーナさんは子供たちと一緒に450kmの距離を車で駆けつけ、その日のうちに考え直すよう説得したという。お互いがお互いを支えようとした家族は、最終的にカッサーノの引退という結論に至ることになったとしていました。
ずいぶんと美しい話にまとめましたね。
■2017/08/02 カッサーノ「引退するとは一度も言わなかった」
で、その美しい話を彼が1週間後にぶち壊しにします。なんと契約解除にかんするヴェローナとの話し合いでは、「引退するとは一度も言わなかった。違うことが書かれたけど、それが真実だ」と主張しだしました。
ヴェローナが自分の環境ではないと悟ったとも書かれていましたが、それは勝手な話。
騒動に付き合わされたヴェローナが違約金を設定したことについても、「(引退するとは一度も言わなかった) だからヴェローナは、ほかのクラブに加入した場合の違約金を設定してきたんだ」と、ヴェローナを悪く言っています。
クラブに迷惑をかけたという思いは、微塵もないようです。
(お騒がせカッサーノ、やっぱり現役引退否定。「辞めるなんて一度も言ってない」 フットボールチャンネル | スポーツ | 2017年08月01日 より)
こんなクズ男の話を美談にしちゃいけませんよ。
2024年10月10日木曜日
サッカー選手はタバコをやめよ 野球選手より喫煙は少なくてもスポーツでは厳禁
■2016/12/30 サッカー選手はタバコをやめよ 野球選手より喫煙は少なくてもスポーツでは厳禁
日本での調査によると、サッカー選手の喫煙は、野球選手より少ないとされていました。ただ、少ないで安心するのではなく、ゼロにしなくちゃいけないでしょう。スポーツ選手としてはあるまじき行為です。
…などといった話を書き始めたのは、オランダ代表のデパイで水タバコに関する報道があったためでした。<マンU放出対象のデパイ、オランダで水タバコを喫煙する姿が激写される フットボールチャンネル | スポーツ | 2016年12月29日>では、以下のように書いています。
-----引用 ここから-----
マンチェスター・ユナイテッドから放出の対象とされているオランダ代表FWメンフィス・デパイが、母国オランダで水タバコを喫煙している姿が激写された。29日付の英紙『ザ・サン』が写真付きで報じている。(中略)
先週の日曜日に友人と母国オランダ・ロッテルダムにある高級バーに出かけたデパイは、そこで酒を飲みながらシーシャ(水タバコ)を吸っていたという。その姿が撮られた写真を英紙『ザ・サン』が公表した。
同紙によると、水タバコは長時間かけて煙を吸うことで嗜好を味わう物であることから、吸い込む煙の量だけを比較するとその量は通常の紙巻タバコ200本分に相当する量になるという。そして、その場にいた者の情報によると、以前にもこのバーで水タバコを吸ったことのあるデパイは、テレビでアヤックスの試合を見終わってから朝6時までこの高級バーにいたとのことだ。
http://pex.jp/point_news/4eca2101dc07465a0a41e1aaf886f5b6/
-----引用 ここまで-----
今回は水タバコという日本では馴染みの薄いもの。イスラム圏で人気のタバコですね。これだと身体的な影響、健康被害はどうなのだろうと検索。すると、やっぱりダメでした。というか、水タバコ - Wikipediaによると、紙巻たばこより危険という説も出てきているとのことです。
-----引用 ここから-----
人体への影響
WHOに存在する『たばこ製品規制研究部会』が2007年5月31日の世界禁煙デーに向けた研究発表によると紙巻タバコが1本を吸い終わるのに平均5~7分間のうちに8~12回煙を吸入することに対し水タバコは前述の通り長時間をかけて煙を吸引することで嗜好を味わう物であり、20~80分の内に50~200回もの煙を吸入するため、吸い込む煙の量だけを比較する場合は紙巻タバコ100本分にもなるという。 また、WHOのTobacco Free Initiative (TFI) 発表のTobacco: Deadly in any form or disguiseによれば、水たばこも含めて、あらゆる形のたばこ製品は喫煙者やその周囲の非喫煙者の健康を脅かす重大なリスク要因であることとも明言されている。
また、イギリス保健省などの調査によると、水タバコ一回分の吸引によって体内で発生する一酸化炭素の量は、紙巻きたばこ1本分で発生する量の約4~5倍にものぼり、これによる脳などへの重大な影響が懸念されるとして、通説では「紙巻きたばこよりも安全」と見なされがちな水タバコ吸引の危険性について同省や関係機関では注意喚起を行っている。その他にも、複数人数で一つの水タバコを共用する際にマウスピースなどを交換せずに回し吸いを行った場合、肺結核、ヘルペス、インフルエンザなど経口感染による様々な病気の伝染も懸念される。[3]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E3%82%BF%E3%83%90%E3%82%B3
-----引用 ここまで-----
たぶんタバコを吸っている一流選手の方が、タバコを吸わない二流選手より活躍すると思われます。タバコ以上に能力の差の方が大きい要素を占めると考えられるためです。
でも、見せしめ的に長期出場停止にしたって良いんじゃないかとすら、私は考えています。一部の選手を生贄にすることにより、多くの選手に喫煙をやめさせる効果が期待でき、サッカー界全体としてはメリットが大きくなるのではないかと思います。
2024年10月8日火曜日
佐賀県出身のサッカー選手って誰か思いつく?
■2016/3/8 三原廣樹と三原直樹は名前が似てて、しかもともにレフティ
■2020/10/23 佐賀県出身のサッカー選手って誰か思いつく?
後述の三原廣樹の話を投稿しようと思ったのですが、それだけだとつまらないだろう…ということで、 佐賀県出身のサッカー選手をWikipediaで見てみました。個人的には全く思いつかないな…と思ったら、実際、Wikipediaでもほとんど記載なし。私は三原以外わかりませんでした。
と書いてから、原田武男がいたことに気づきます。原田というとフリューゲルスというイメージが強いですね。かなり試合に出ていた記憶があります。
井原康秀(現・平塚学園高等学校サッカー部監督)
片渕浩一郎(現・サガン鳥栖ヘッドコーチ)
蒲原達也(元・サガン鳥栖)
小石龍臣(元・サガン鳥栖)
古賀貴大(V・ファーレン長崎)
高祖和弘(元・ヤンマーディーゼルサッカー部)
佐藤真一(元・サガン鳥栖)
副島博志(元・ザスパ草津監督)
田中賢治(元・サガン鳥栖、現・FC琉球)
中野洋司(元・アルビレックス新潟)
原田武男(元・V・ファーレン長崎コーチ)
古川隆志(元・サガン鳥栖)
前田義貴(元・サガン鳥栖)
三原廣樹(元・サガン鳥栖)
森惠佑(元・サガン鳥栖、現・流通経済大学サッカー部コーチ)
前山恭平(現・ブラウブリッツ秋田)
小池恭一(元・HOYO大分)
中島大貴(現・カマタマーレ讃岐)
中島賢星(現・FC岐阜)
古川雅人(現・SC相模原)
板橋洋青(現・サガン鳥栖)
■2016/3/8 三原廣樹と三原直樹は名前が似てて、しかもともにレフティ
2005年10月10日の高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会決勝 ヴェルディユース 4 - 1 コンサドーレ札幌ユースU-18 で見た選手のメモ。ただ、最初の三原である三原直樹は名前をメモしていただけでした。しかも、書いている内にメインが別の三原選手になっていましました。
メモは「あんまりわからんかったなー」だけ。U-18ということで名前をメモしたようですが、ポジションすらわからず。サイドバックかボランチかというメモ。Wikipediaを見ると、DF、MF(SB)とあります。左利きです。東京都出身でそのままヴェルディに昇格していました。
-----引用 ここから-----
本町サッカースポーツ少年団 (藤沢市)
ヴェルディジュニア
ヴェルディジュニアユース
ヴェルディユース
2006年 - 2007年 東京ヴェルディ1969
2007年4月 - 2007年12月 ファジアーノ岡山 (期限付き移籍)
2008年 - 2009年 ファジアーノ岡山
2010年4月[1] - 2010年5月 日本工学院F・マリノス
2010年5月 - 2010年12月 ロチェスター・サンダー
2011年9月 - 2011年12月 横浜スポーツ&カルチャークラブ
-----引用 ここまで-----
三原と言うと、名古屋グランパスなどにいた中盤の三原廣樹が思い浮かびますが、彼も左利きでした。字面もにていますね。同じ「樹」がつきます。佐賀県出身の元サッカー選手で、ポジションはMFのみ記載がありました。
-----引用 ここから-----
佐賀商業高校
1997年-1998年 名古屋グランパスエイト
1999年 ウニヴェルシタテア・クライオヴァ - 期限付き移籍
1999年-2000年 名古屋グランパスエイト
2000年 サガン鳥栖
2001年-2002年 名古屋グランパスエイト
2002年 アビスパ福岡
2003年-2005年 コンサドーレ札幌
2006年-2007年 FC琉球
-----引用 ここまで-----
三原廣樹選手は記憶に残っている選手…と思って検索かけたら、ちょっと別の選手と混ざっていました。検索かけて読んだ情報を入れて整理すると、左足の強烈なフリーキックやロングキックが魅力の選手。
名古屋で見て結構好きだったと思っていたものの、ほぼ出場機会なし。なので、私が見たのはコンサドーレっぽいですけど、この記憶の調子だとこれも記憶違いかも。本当に好きだったかは、たいへん怪しいですね。何かグダグダな話になってしまいました。
2024年10月6日日曜日
日本人はゴールマウスとボランチの意味を誤解している
■2017/02/16 日本人はゴールマウスとボランチの意味を誤解している
■2017/11/04 ハットトリックの語源は同じイギリス発祥のクリケットに由来って本当?
■2017/02/16 NHKのサッカー映像制作は下手 専門ではなく外注だから
元JFA会長の岡野俊一郎さんによると、サッカーの試合における映像制作が最も上手いのは文句なしでイギリスのBBC。なぜかと言えば、サッカー専門のクルーを擁しているから。日本ではNHKでもサッカー専門クルーを持っておらず、すべて外注だそうです。
例えば、日本の映像でおかしいのは、選手個人のアップが長すぎること。シュートを外した選手を、ずっと追っていることが珍しくないが、すでに試合は動き出していて画面がそれを捉えていない、といった具合です。
(岡野俊一郎と金子勝彦が語る日本サッカー(その2)TV中継で誤用が多い「ゴールマウス」と「ボランチ」 | フットボールチャンネル | サッカー情報満載! 2014年07月22日(Tue)10時33分配信 text by 藤江直人より)
■2017/02/16 日本人はゴールマウスとボランチの意味を誤解している
驚いたのは、ゴールマウスは完全に元の意味と違っているという話。現在のゴールマウスは、ゴールの枠内を差しており、これを超えるとゴールになるという面のことを指して使われています。アナウンサーが「シュートがゴールマウスを外れました」と言うことがあると、岡野さんは指摘しています。
ところが、これ、本当は間違いなんだそうな。ゴールマウスとはかつてはゴールエリアを意味して、それが徐々に変化してきて、いまではゴール前の危険な地域を指すようになったのだそうです。
一方、ボランチの方は、一応役割だというのは理解していました。「ハンドル」といった意味だと聞いたことがあります。守備的な中盤ではなく、全体をコントロールするようなイメージで捉えていました。
ただ、岡野さんは、以下のように言っていて、またちょっと違う指摘ですかね。
「ボランチというポルトガル語をポジションの意味で普通に使う。ボランチとは役割を指すのであって、決してポジションではない。FIFAの公式記録を見れば一目瞭然です。サッカーにおけるポジションはGK、DF、MF、FWの4つしかないんです」
インタビューアーは、"「舵取り役」や「ハンドル」を意味するボランチという言葉は、1993年のJリーグ創設以降に来日したブラジル人選手が広く浸透させたと言われています"と、補足していました。
■2017/11/04 ハットトリックの語源は同じイギリス発祥のクリケットに由来って本当?
サッカー用語関連で「ハットトリック」の語源について。ただ、クリケット由来という説明は、有名ですよね。ところが、日本サッカー協会のページでは、「語源は諸説あります」と書いていたので、一瞬ドキッとしました。
ただし、続けて 「イギリス発祥のクリケットに由来しているといわれています」とのことでやはり有力とのこと。
クリケットは日本では全く馴染みがないものの、実はインドでは今でも大人気なスポーツ。日本サッカー協会では、「クリケットは野球の元になったスポーツ」としていました。
さらにクリケットで3人の打者を連続でアウトにするのは、野球以上に難しいと説明した上で、その偉業を成し遂げた選手には高級な帽子が贈られ、大変な名誉なこととされた、と紹介しています。
ここまで書くともうおわかりですね。これがサッカーでも使われるようになり、1試合で3得点した場合をハットトリックというようになったというのが有力なようです。
ちなみに異説としては、「「選手の功績を称えて観客が帽子を投げ入れたから」というのがあるそうな。初めて聞きました。
また、6得点をダブルハットトリック、9得点をトリプルハットトリックというとも説明されていてびっくり。俗な言い方だと思っていましたわ。
(ハットトリックの語源は?|お問い合わせ|日本サッカー協会より)
2024年10月5日土曜日
【クイズ】1989年のコロンビアリーグで優勝チームがいなかった驚きの理由とは?
■2016/12/16 コロンビアのアトレティコ・ナシオナル、クラブワールドカップで来日
■2020/08/10 【答え】1989年のコロンビアリーグで優勝チームがいなかった驚きの理由とは?
■2020/08/10 【クイズ】1989年のコロンビアリーグで優勝チームがいなかった驚きの理由とは?
コロンビアのリーグで何かおもしろい話をなにか一つは…と探して、最初にクイズを入れることに。おもしろいというよりは、物騒な感じのクイズになってしまいました。私のおもしろくないサッカーの感想の後にクイズの答えがあります。
【クイズ】コロンビアにおけるサッカーの最上位リーグであるカテゴリア・プリメーラAですが、1989年にはポストシーズンが中止され、優勝チームを決定できなかったそうです。その理由として正しいものはどれでしょう?
(1)政情不安によって中止されたため。
(2)審判が暗殺されたため。
(3)麻薬取引にほとんどのクラブが関わっていたため。
■2016/12/16 コロンビアのアトレティコ・ナシオナル、クラブワールドカップで来日
あんまり南米のチームって見る機会ないですよね。鹿島が3-0で勝った2016年のクラブワールドカップ準決勝ですが、内容的にはコロンビアのアトレチコ・ナシオナルがむしろ優勢でした。
GK 34 フランコ・アルマーニ
DF
2 ダニエル・ボカネグラ
3 フェリペ・アギラール
12 アレクシス・チャラレス
19 ファリド・ディアス
MF
6 マテウス・ウリベ
8 ディエゴ・アリアス
10 マクネリー・トーレス
FW
9 ミゲル・ボルハ
21 ジョン・モスケラ
28 オルランド・ベリオ
監督 レイナルド・ルエダ
(【鹿島×ナシオナル|スタメン発表】永木に代わり小笠原! 金崎は再びスーパーサブ
SOCCER DIGEST Web 12/14(水) 18:44配信 より)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161214-00021198-sdigestw-socc
GK 34 フランコ・アルマーニ
3失点ですけど、アルマーニも別に悪くはなかったですよね。むしろ前半はよく当たっていて、裏へのボールも飛び出していて守備範囲広くよく守っていて良いゴールキーパーだと思いました。
1点目はPK、3点目は完全に崩されて。2点目は競り合ってこぼれてではあるものの、ミスだとは感じませんでした。アルゼンチン人って紹介されていた記憶。
MF 10 マクネリー・トーレス
ゲームメイクしていた選手。スルーパスを通してきていて、怖かった選手の一人。いい選手です。Wikipediaもありました。ワールドカップで見た記憶はないですし、情報もありません。
FW 9 ミゲル・ボルハ
センターフォワードみたいな感じ。ポストプレーが良かったものの、体の強さというよりはうまさで収まる選手。相手に最初に体を当てておいて、距離を開けてボールをコントロールするプレイが目立っていました。
ただ、ワンタッチでボールを意外な方向に動かしてターンするプレイも何度もやっていて、印象的です。ここらへんもあって点取り屋という紹介のイメージとは異なるものの、シュートセンスは感じました。ゴリゴリってイメージではなく、うまさが前面に出ているFWですね。
しかし、後半は焦りがあったのか、シュートなど力みのあるプレイが増えてしまいました。ああ、まだ23歳なんだ。後半の焦りは確かに若さなのかもしれませんけど、前半の老練さも感じさせるプレーからしてベテランなんだと思って見ていましたわ。
なお、その後、アトレティコ・ナシオナルは、飛行機事故が起きて決勝で戦えなかったシャペコエンセに、コパ・スダメリカーナの優勝を譲り、受理されました。アトレティコ・ナシオナルは、夏にコパ・リベルタドーレスを制していましたので、コパ・リベルタドーレス優勝でコパ・スダメリカーナ準優勝ということになります。
■2020/08/10 【答え】1989年のコロンビアリーグで優勝チームがいなかった驚きの理由とは?
【クイズ】コロンビアにおけるサッカーの最上位リーグであるカテゴリア・プリメーラAですが、1989年にはポストシーズンが中止され、優勝チームを決定できなかったそうです。その理由として正しいものはどれでしょう?
(1)政情不安によって中止されたため。
(2)審判が暗殺されたため。
(3)麻薬取引にほとんどのクラブが関わっていたため。
【答え】 (2)審判が暗殺されたため。
コロンビアは治安の悪い国というイメージがあり、サッカー選手の暗殺事件も起きています。Wikipediaには詳しい話がなかったのですけど、審判が暗殺されたことが原因で1989年にはポストシーズンが中止され、優勝チームを決定できなかったそうです。
なお、 政情不安によって中止されたというのは、1947年から1948年にかけてのリーグ。実はこれリーグ創設の年であり、いきなり最初からつまずいたようです。
「(3)麻薬取引にほとんどのクラブが関わっていたため」は完全に一から作った選択肢でしたが、コロンビアは麻薬取引のイメージも強いため、「あり得る」と思った方もいたかもしれません。
2024年10月3日木曜日
サッカーでのテレビ局への苦情「芸能人を呼ぶな」がほとんど
■2020/08/04 明石家さんまよりすごい“サッカー愛”タレント ランキング1位は?
■2017/02/16 サッカーでのテレビ局への苦情「芸能人を呼ぶな」がほとんど
岡野俊一郎元JFA会長のしていた話で激しく共感したのが、芸能人の話です。
岡野俊一郎と金子勝彦が語る日本サッカー(その3)TV中継に何が必要で、何が欠けているのか? | フットボールチャンネル | サッカー情報満載!
「国際試合になるとゲストが呼ばれますよね。民放の場合は芸能人が多いんですけれども、それで視聴率が上がるかどうかは別として、ある局のトップに聞いたら局への苦情のほとんどは「芸能人を呼ぶな」というものらしいんですね。
スポーツはスポーツとして、普通に放送して欲しい」
私もサッカー放送に出てくる芸能人が、心底嫌いです。あれを全滅させてほしいですね。
■2020/08/04 明石家さんまよりすごい“サッカー愛”タレント ランキング1位は?
上記の芸能人は全然サッカー好きではない芸能人という意味だと思うんですけど、サッカー好きの芸能人でも普通に私は嫌ですね。明石家さんまさんがサッカーの中継で出てくるのが本当嫌でした。コメントもいちいちイラッと来ます。
その明石家さんまさんは、一般的にはウケが良いのか、オリコンの“サッカー愛”タレント ランキングで2位でした。では、1位は誰だったのか?と言うと、小柳ルミ子さん。小柳ルミ子は、ちょっと見かけないほどのサッカーマニアの領域らしいので納得です。ただ、エピソードを見ると、やはり試合中継には出すべきではない感じでした。
<仕事がある時でも1日5試合、休みの時は10試合観戦し、年間で2000試合以上をチェック。睡眠時間も3時間。観戦しながら、各チームの戦術をノートに書き込む>
<サッカー解説者として小柳が登場。『明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2017 浦和レッズ対ドルトムント』戦では、「サッカー選手は私の子宮から生まれた」などのコメントを繰り出し、サッカーファンを騒然とさせた。そんな小柳“迷”解説に「自分語りの実況解説」と炎上ボヤ騒ぎもあったり、逆に「伝説の解説」、「サッカーファンの裾野が広がるかも」と称賛の声も巻き起こった>
(芸能界最強の“サッカー愛”タレント ランキング | ORICON NEWS 2018-06-15より)
なお、3位はナインティナインの矢部浩之、4位は川平慈英、5位は木梨憲武 でした。
2024年10月1日火曜日
海外でプレーする日本人サッカー選手 中島翔哉、鎌田大地、伊藤達哉、久保裕也,木村光佑,山田大記など
■2018/01/09 活躍中の中島翔哉、本田圭佑の経歴と似た鎌田大地にも注目
■2014/8/23 海外でプレーする日本人サッカー選手 久保裕也,木村光佑,山田大記など
■2017/09/30 ハンブルガーSVに入団の伊藤達哉が早くもトップデビュー
最近の話も追加。現地時間24日、ハンブルガーSVのFW伊藤達哉がブンデスリーガ1部デビュー。アウェイでレバークーゼンと対戦でした。
U-23ハンブルガーSVに所属する伊藤は2試合連続でトップチームのベンチ入りを果たすと、2点ビハインドで迎えた82分に登場。
DF酒井高徳が今シーズン初となるフル出場も果たしていますが、0-3で敗れています。
(独3年目の20歳伊藤達哉がブンデス1部デビュー。酒井高徳はフル出場 フットボールチャンネル | スポーツ | 2017年09月25日 )
検索してみると、年代別の日本代表には呼ばれていない感じ。Wikipediaには記載ありませんでした。
このWikipediaによると、東京都出身で小学生の頃から柏レイソルの下部組織に所属。2014年4月にUAEで開催されたアル・アインインターナショナルジュニアチャンピオンシップでは、グループリーグのハンブルガーSV戦でマン・オブ・ザ・マッチに選出されるなど準優勝に貢献し、大会MVPを受賞しています。
しかし、2015年7月13日、ハンブルガーSVに3年契約で入団することが発表されます。ハンブルガー側の要望により高校卒業前からチームに合流するため、通学していた日本体育大学柏高等学校では早期卒業の特例措置。柏レイソルにも満額のトレーニング・コンペンセーション(育成費)が支払われての移籍となりました。
■2018/01/09 活躍中の中島翔哉、本田圭佑の経歴と似た鎌田大地にも注目
ポルトガル1部のポルティモネンセに所属するMF中島翔哉に対しブンデスリーガのフランクフルトとヴォルフスブルク、ポルトガルのの強豪ポルトが興味を示しているそうです。
23歳の中島は今季FC東京から期限付き移籍でポルティモネンセに加入。第5節でリーグ戦初出場をするとそこから現在まで13試合連続スタメン出場中で、7得点3アシストの活躍を見せています。
中島翔哉、長谷部誠&鎌田大地の同僚に? フランクフルトが好条件を提示かフットボールチャンネル - 01月09日 07時25分
http://ecnavi.jp/mainichi_news/article/de572deeefbf94a4542d35558439f2b8/
フランクフルトなら、日本代表MF長谷部誠やMF鎌田大地が所属するクラブ。鎌田大地は現在21歳。サガン鳥栖から移籍した選手で、U-23日本代表の経験があります。2017年の8月20日、開幕戦のSCフライブルク戦でリーグ戦デビューも果たしました。
ちなみにガンバ大阪ジュニアユース出身で、ユースへの昇格は果たせなかった選手ですので、活躍しちゃうと本田圭佑、東口順昭らの再現となってしまいそうです。
(関連:ガンバ大阪ユース、本田圭佑と東口順昭を不合格にしていた ジュニアユースには他に家長昭博・安田理大など)
■2014/8/23 海外でプレーする日本人サッカー選手 久保裕也,木村光佑,山田大記など
最近大ブレイクした 久保裕也を過去に取り上げていましたが、全く記憶に残っていませんでした。昔のブログで書いていた2014年の投稿です。(2017/7/8再投稿)
本当最近は無名選手含めて海外でプレーする日本人サッカー選手が多いですね。
スイス・スーパーリーグには、日本代表FW・柿谷曜一朗がいます。しかし、無名の久保裕也という選手もいるそうです。
-----引用 ここから-----
カカ、ビジャ、ランパードら大物が続々移籍する米メジャーリーグ・サッカーとJリーグの「共通項」|ダイヤモンド・オンライン 相沢光一 2014年7月29日
日本での一般的知名度は高くないが、スイスリーグには若き実力派日本選手がいる。ヤング・ボーイズに所属する久保裕也(20)だ。京都サンガで3シーズンプレーした後、昨年同クラブに移籍した。昨季は主にサブとしての出場だったが8ゴールの活躍を見せ、今季はレギュラーFWの座を獲得。開幕から2試合連続ゴールを決めるという上々のスタートを切った。
http://diamond.jp/articles/-/56734
-----引用 ここまで-----
京都時代も活躍していたようです。
-----引用 ここから-----
2010年シーズン途中に2種登録選手としてトップ登録され、トップチームに帯同。その後、登録を一旦解除される。
2011年シーズンに再び登録され、シーズン2試合目となった第8節のファジアーノ岡山戦にて3トップの中央でプロ初出場、初スタメンで初ゴールを記録。第11節の徳島ヴォルティス戦では、プロ2ゴール目となる豪快なミドルシュートを決めるなど、その後もゴールを量産。17歳にしてチーム最多得点となるリーグ戦30試合10得点を記録した。12月29日の天皇杯準決勝、横浜F・マリノス戦では途中出場から決勝ゴールを決めるなど1ゴール1アシストの活躍でチームの決勝進出に貢献。翌年の元日、決勝のFC東京戦でも途中出場からゴールを決め、高校生ストライカーとして一躍注目を浴びた。
-----引用 ここまで-----
ただ、2012年は不振。日本最後の2013年は、主にスーパーサブとして633分出場で7ゴールを挙げたそうです。あと、出場はなかったものの、現役高校生のときにA代表入りしたことがあるようです。
その他に記事で名前の挙がっていた選手。
ベルギー・ジュピラー・プロリーグ 日本代表GK・川島永嗣や横浜Fマリノスで活躍した小野裕二
イングランド・プレミアリーグ 香川真司(マンチェスターU)や吉田麻也(サウサンプトン)
ドイツ・ブンデスリーガ 内田篤人(シャルケ)、岡崎慎司(マインツ)、長谷部誠(フランクフルト)、清武弘嗣(ハノーヴァー)、大迫勇也(ケルン)
イタリア・セリエA 本田圭佑(ACミラン)と長友佑都(インテル)
原口元気(浦和→ドイツ・ベルリン)、田中順也(柏→ポルトガル・スポルティングリスボン)、山田大記(磐田→ドイツ2部・カールスルーエ)
リーガエスパニューラがいないんですね。
記事で注目されていたのは、アメリカのメジャーリーグ・サッカー(MLS)。
-----引用 ここから-----
2007年、日本人で初めてMLS選手となったのが木村光佑。コロラド・ラピッズのサイドバックとして6年間プレーし、現在はニューヨーク・レッドブルズに所属している。また、元日本代表でFC東京、ガンバ大阪などでプレーした加地亮はこの6月、ロサンゼルスのデポルティボ・チーヴァスに移籍。すでにリーグ戦デビューを果たしている。
-----引用 ここまで-----
木村光佑を補足。
-----引用 ここから-----
木村光佑(きむら こうすけ、1984年5月14日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。メジャーリーグサッカー(以下MLS)初の日本人選手。ポジションは右ディフェンダー(サイドバック)。
来歴
2007年1月のMLSサプリメンタルドラフトで日本人プレーヤーとして初めてコロラド・ラピッズに全体の35番目で指名され、同年3月に正式契約の28人枠に生き残り、日本人初のMLSプレーヤーとなった。
2007年シーズンも終わりに近づいた9月22日のレアル・ソルトレイク戦で右サイドバックとして90分間プレーし、1年目にしてトップデビューを果たす。10月7日のトロントFC戦でも同ポジションでフル出場。試合後、地元テレビ局の選ぶMVPに選ばれる。最終的に4試合に出場しその全試合で90分プレーし、2008年度も引き続きコロラドでのプレーが決まった。
2008年シーズンは18試合に出場しうち17試合が先発で計1438分プレーし、チームの主軸となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%89%E4%BD%91
-----引用 ここまで-----
日本でのプロ経験なしで行った選手のようです。今は30歳。
-----引用 ここから-----
ユース経歴
2000年 - 2002年 日本の旗 川崎フロンターレユース (和光高等学校)
2003年 - 2006年 アメリカ合衆国の旗 ウエスタンイリノイ大学
プロ経歴
2007年 - 2012年7月 アメリカ合衆国の旗 コロラド・ラピッズ
2012年7月 - 2012年12月 アメリカ合衆国の旗 ポートランド・ティンバーズ
2012年12月 - アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク・レッドブルズ
-----引用 ここまで-----
あと、先に紹介した中から山田大記だけ最後に補足。日本でも活躍していました。
-----引用 ここから-----
山田 大記(やまだ ひろき、1988年12月27日 - )は、静岡県浜松市出身のプロサッカー選手。(中略)ポジションはミッドフィールダー。(中略)
ジュビロ磐田
大学卒業後、ジュビロ磐田と鹿島アントラーズからオファーが有ったが、ジュニアユースまで所属していたジュビロに入団。同期入団は、小林裕紀と金園英学。
2011年、1年目にして背番号10を任されるなどシーズン前から期待をされていた。開幕戦は途中出場だったが、期待通りの活躍を見せ、第2節以降スタメンに定着する。キレのあるドリブルやパスで勝利に貢献し、第10節のモンテディオ山形戦ではプロ初得点を決めるなどした。中心選手として活躍していたが、シーズン終盤に左下腿の肉離れを起こし、続けて今度は右第5中足骨を疲労骨折し、手術のため離脱し、終盤は試合に出られなかった。それでもシーズンを通して5得点を記録し、FWの選手を除けばチーム最多得点者となった。
2012年、柏レイソルに完全移籍した那須大亮の後を継いでクラブ史上最年少ゲームキャプテンに就いた。また、日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに初招集される。
2013年7月25日、東アジアカップ2013オーストラリア戦で日本代表初出場を果たした。
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本当、海外でプレーする選手増えましたね。
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