■2019/01/12 パク・チソン(朴智星)の三浦知良の思い出「カズのようになりたい」
■2019/01/12 カズが引退しない理由?試合前にカズが考えていること
■2019/01/12 パク・チソン(朴智星)の三浦知良の思い出「カズのようになりたい」
"韓国のサッカー雑誌での智星のインタビューから一部抜粋"したという話がおもしろかったです。
タイトルは、ネガティブなものを含むパク・チソン「日本人のイメージは良くなかった」(マンチェスター・ユナイテッド大好き野郎ブログ 2012-10-23)になっています。ただ、なんとなく想像できるように、そこから「変わった」という話なんですね。
そして、特に影響を受けたというのが、カズこと三浦知良。日本のクラブに来た日から毎日必ず声を掛けてくれて、悩んでいる時に相談を聞いてくれたといいます。
そのカズに「カズさんのようになりたいです」と言ったとき、急に真顔になり話してくれた言葉、人生を変えた言葉というのが、以下だったといいます。
「いいかい智星、自国以外でサッカー選手として生き残るのは本当に困難だ、最後までサバイバルする選手に一番必要なものは何かわかるかい?技術じゃない、そのクラスの選手の技術はみんな同じくらい高いからね、一番大切な事は、サッカーへの情熱、一途の献身、毎試合今日死んでも悔いはないという思いで試合に望む、サッカーに人生を賭ける選手だ」
■2019/01/12 カズが引退しない理由?試合前にカズが考えていること
三浦知良選手はプロサッカー選手のキャリアのスタートはブラジルですし、その後も海外で挑戦しています。この後はそのブラジルの話がありました。
「ブラジルでは貧しくて、ブラジル人なのに一生スタジアムに来れない人が沢山いるんだ。ブラジル人にとっては悲劇だよ」
「智星わかるかい?ブラジルで俺は試合前に必ずスタジアム全体を見る、この中でいったい何人の人達が一生に一回だけの試合を見にきたんだろうと思うんだ」
「すると全身にアドレナリンが溢れてきて喧嘩した直後みたいに身体が震えてきて鼻の奥がツーンとしてくる、俺はそのまま試合開始のホイッスルが鳴るのを待つんだ」
同じ話ではありませんが、Wikipediaでもブラジルの貧しさの話が出ていました。
<1985年、夢を諦めて日本に帰りたいと思った時期、ふと寄ったリオの公園で現地の貧しい少年達がサッカーをしているのを見た。その中には裸足の子や片足がない子もおりボールは古く汚いものだったが、皆楽しそうにボールを追っていた。カズは「自分には両足も、スパイクも、いいボールもある。何を俺は贅沢なことを言っているんだ」と思い、帰国を思いとどまった>
プロ契約はこの後。"1986年2月、サンパウロ州のサントスFCとプロ契約"。ただ、最初のサントスFC所属時に"出場できたのは1部リーグ2試合だけに留ま"ったそうです。知りませんでしたわ。
その後別チームを渡り歩いて活躍。"1990年2月、サントスFCへ4年振りに再移籍"すると、"レギュラーポジションを確保"しました。
さらにその後も経歴の中で多くの「日本人初」という記録を作り、現役選手としてプレーし続けています。
50歳を超えても引退しないで頑張り続けられる理由は、こういう熱い思いがあるせいでしょうね。